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映画『キツツキと雨』が、虚構に夢中になったらリアルで青春していて羨ましい件

マガジンのタイトルに使わせていただいたからには、この映画『キツツキと雨』について、書かないわけに行かないよなあ。
この作品、公開されたのは2012年2月だから、もう12年経つのか…
気づけば5回以上は観てる気がする。
私のギガが順調に減っているおかげか、見るたびに毎回新鮮に笑える。
そう思うとギガ減少による忘れっぽさも、悪くないなと最近思うようになった。

この作品は、『南極料理人』『横道世之介』の沖田修一監督が手がけていたのね。最近では『さかなのこ』も良かった。


『キツツキと雨』は、言葉で説明できない“絶妙な面白さ”が詰まっている。
なんかね、大爆笑とかじゃないんだけど、時々声に出して笑ってしまい、気づけばずっとニコニコ、ニヤニヤしてる自分がいる感じ。
役所広司演じる克彦の、なんともいえないオヤジっぷりが光るのだ。
ちょっと無愛想で無骨な職人のおっさんが、ひょんなことから自信なさげなコミュ障の若い監督のゾンビ映画の撮影に巻き込まれ、化学反応を起こしていく─。

妻を亡くし、息子とも衝突し、仕事中の事故による体の不調を抱え、禁煙を余儀なくされ、甘いものも禁止されて。色々な現実が積み重なる日常。
しかし、そこに非日常の「映画」が滑り込んできた。
無邪気に、楽しそうに夢中になっていく。

息子と同じくらいの若い監督のゾンビ映画の台本を読んで涙し、「おもしろい」と共感する。
「虚構」なんだけど、そこに生まれる感情はリアル。

世代も違う克彦の忖度のない共感と肯定は、自信のない若い監督に「自信」を与える。この「自信」が急に湧き上がらないところがリアルでいい。
少しずつ、でも確実に変わっていくのだ。
空気が変わっていくのが見えるのだ。
それが、観客であるこちら側にこそ伝わってくるのだ。そして、こちら側が嬉しくなるのだ。

自分の作るものに誰かが面白がってくれるって、特別なことなんだな。
「お前、監督できるんだぞ、幸せなんだぞ!」と、中年の助監督の言葉は、この映画を最初に見た時には笑って見てたけど、10年以上経った今みると刺さる。じわっと涙が出そうになるくらい沁みる。

そして役所広司の隠しきれない嬉しさと、キラキラしていく表情が最高で、見てるこちらも声を出して笑ってしまう。
温泉で監督の幸一(小栗旬)と映画の話をしたくてウズウズしてじわじわ近づいていく様子なんて、まるで少年で最高に可愛いのだ。
最初の気難しそうだったおっさんはどこにいったんだ?

日常に突如現れた“映画”という非日常の世界に、まるで青春が蘇ったように夢中になっていく。そのパワーに撮影スタッフが巻き込まれ、温度差があった熱意や方向性も次第に一つになっていく。
そして、息子役の高良健吾がいい仕事をするのだ。

突然映画に関わってきた60歳の克彦が、いつのまにか欠かせないほどの仲間になっている。
さらには監督を介して、自分の息子の気持ちに寄り添うことができるようになる。
世代が違うからこその感じ方のズレや勘違いが可笑しさを増す、まさに化学反応なのだ。

これはなんだ。
青春そのものではないか。

そしてエンディングにかかる星野源の「フィルム」の歌詞が、この映画をまとめあげる。そう、エンディングの音楽もちゃんと映画の一部と思わせるのだ。歌詞をみてるとまだ話が続いてるようで席なんか立てない。

虚構を作り上げた楽しい時間の共有。
この思い出で、また日常に戻っても、いろんなことをすこし越えられる力になる気がする。

そうだ、これは青春映画だったんだ。




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まさだりりい
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