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【適応障害】「ストレスが原因です。」コロナで疲労困憊だったわたし
適応障害と診断書をもらったとき、医師から「ストレス源から離れて治療しましょう」と言われた。
例によって社会人、病棟勤めの看護師だったわたしは、職場を休職することとなった。
「ストレスが一番の原因ですね」
わたしのストレスってなんだ?
上長と面談するときにも聞かれた。
「何か大変だった?辛かった?人間関係?仕事量が多かったかな?」
なんだかどれもしっくりこなかった。
ここからは、他の職業に正規に就いたことがない、いち病院という狭い世界で社会人を5年でドロップアウトした人間の戯言だ。
病棟単位でみれば人間関係も悪くなかったし、所謂女社会にありがちな陰湿な空気も流れていなかった。
これは上長がサバサバした女性であり、職場の空気の作り方がうまかったと思う。
他病院より給料は安かった(きちんとした勤怠管理がなされていなくて、働いた分の残業代は出ていなかったことは許せない)けれど、自分を養っていくことはできたし、同年代の女性と比較したらまあ、もらっていた方なのだろう。
まあ、夜勤を含んだ給料だったので、命と引き換えだった感は否めないが。
仕事量が増えた?そりゃ4年目にもなれば仕事も増える。
リーダーの委員会、1年目や実習生の指導。
いろいろ重なったけれど、今までしてきてもらったことだし、しんどい気持ちはなかった。
職場環境は悪くなかったはずなのに、何がしんどかったんだろうか。
休職当時はわからなかった。
でも、今思い返すと、これだ!というものがある。コロナだ。
絶対と言っていいほどコロナによる影響だと思う。
コロナ騒動から2年経ち、社会がなんだか緩んできた頃に、心身の疲労が全て、出た。
2020年、医療職の端くれのわたしも、コロナ流行真っ盛りは大変なものだった。
自分が万が一にも持ち込んで入院している患者さんに移してしまったら、最悪命を奪ってしまうかもしれない。
同僚に移してしまったら、今でさえ少ないギリギリの人手で回している病棟が崩壊するかもしれない。
まだ2年目の看護師で、一人前にもなっていないわたしは、罹患せず、毎日出勤し、決められた業務を粛々とこなすことが、迷惑をかけない最大の貢献だと思っていた。
コロナが流行って、病院も大きく変わった。
入院前には検査が必須になった。一度入院したら、面会ができない。
家族と情報共有をしたくても、電話しかできない。医療者と患者家族、相互に認識の齟齬が生まれる。
入院患者が発熱したら、とりあえず隔離して検査。結果が出るまでは完全防備をして看護にあたる。
もちろんウイルスを持ち込まないよう、コロナ(疑い)患者担当の看護師は、ナースステーションへ帰ってこれなくなった。
わたしがやりたかった「看護」ってなんだっけ?
看護師になると、就職面接でも期末面談でも「看護観」について嫌というほど聞かれる。
その度にそれなりのことを言ってみるのだが、自分の中ではしっくりとしたものがないというか、うまく言葉にできていないというか、モヤモヤが募り続けていた。
2020〜2021年、本当に記憶がない。
社会がステイホームだといっている時に、わたしは変わらず電車に揺られて通勤していた。
家にいると時間があまる、何をしたらいいんでしょうね、なんて流れるテレビニュースをみながら、わたしは職場と自宅とコンビニの3か所の行き来しかしていなかった。
発熱した同僚がいれば、検査結果が出るまで出勤できない。代わりに何度も出勤した。
実家にも帰れなかった。実家には基礎疾患もちの父と、病院勤めの母がいた。
絶対にウイルスを持ち込めない、もしわたしのせいで罹患して最悪のことになったら。そんなことを考えて毎日を過ごしていた。
さほど遠くない距離にあり、月に1度は帰っていたのに。
人との付き合いを断たれたわたしは、どんどん孤独になった。
ステイホームしている人たちももちろん、いつもと違う生活にストレスが募っていっただろう。特に子どもなんて可哀想だなあとずっと感じていた。
でも、世の中が少しだけ状況が良くなると、経済を回せだとかそのために旅行支援しようだとか、え?何が良くなったんだろう。
わたしたちはこんなにひどい生活をしているのに?
コロナ病棟では直接働くことはなかったけれど、そのしわ寄せはわたしたちにも来ていた。
他科の患者が増え始めて、毎日の業務が増えて、残業が増える。
疲れて帰ってごはんを作る気力もない。毎日作っていたお弁当も作る元気を失った。
看護師は小学校からの夢だった。
看護師になって、患者さんを1番に考えて、そばにいられる看護師になりたいと思っていた。
2年目になって少しずつ自分なりの看護を考え始めた矢先のコロナ騒動。
患者さんと長時間の会話は避ける。距離をあけて。顔をみてご家族対応ができない。面会ができないから家族は患者の状態がいまいちピンとわからない。患者と家族と医療者と病院、どこに勤めていた看護師もいろいろなものの板挟みになって働いていたことだろう。
そんな意識高く働いていたとはいえないかもしれないけれど、やりたいこととやれることのギャップが大きくなってしまった。
その結果、2年後に心身の疲労が積み重なって、適応障害としてあらわれたのかもしれない、と今は思う。
今は適応障害自体の症状は良くなった。
社会人として再就職するときのわたしは、もう一度看護師を選ぶだろうか?