ほんのすきまから、語彙力に殴られる夏。
久しぶりの本の投稿。
語彙力がない。というか、日常で使うワードが使い回しになっていて、自分の言葉に新鮮さを感じなくなってきたので、好きな作家の文体に触れることは忘れず、新しい本を読みました。
お盆休みに読んだ本の感想を書きます。
『ブランド』 吉田修一
文庫本が出るまでよく耐えた。ハードカバーの装丁もオシャレなので気になってはいたものの、文庫が出るまでは……と思っていたら、公式(X)からのお知らせは見ていたはずなのにとっくに出ていた。
みたいなことはよくある話。
欲しかった本がいつのまにか店頭に並んでいると、初めましてなのになぜか「また会えたね」みたいな気持ちで抱きしめたくなる。
学生の頃、教科書で読んだ有名作のほんの一部しか知らないのに全部知ってる気になって、大人になって本屋さんで「知ってる知ってる」風に読んでみたら、前編や続編の壮大さにぶん殴られるあの感覚とはちょっと違うけど(違うんかい)。
いろんな媒体で散らばっていた「吉田修一」らしい言葉の紡ぎ方や、風景の切り取り方、そこに生きる人々との接し方、、彼の記憶の引き出しを覗かせてもらえる一冊になっている。
『ブランド』と聞くと高級感とか非日常的な敷居の高さを感じてしまうかもしれないけれど、何のことはなく、商店街の匂いをたどりながら見上げた夕陽のようにあたたかな原風景が広がる文章だ。
まさに人生を旅しているような彼の珠玉のエッセイ集は、あーこれ読んだのどこだっけ、とか、これはあの時電車で読んで、とか、出会った情景まで浮かんでくるタイムマシンのようだった。
ちょうど一つ前の“ほんのすきま”で書かせていただいたエッセイのなかからもチラホラ。わくわく。
いよいよ愛に乱暴の映画公開。
台風に負けず観に行くぞー!
『死にがいを求めて生きているの』 朝井リョウ
一時期本屋さんでよく見かけたなぁ。というか、今でも夏休みとか大型連休の期間に入ると推薦図書として並んでいる。だから気になってはいた、けれどろくにあらすじも確認せずにスルーしていた本。
“平成”に生まれて社会問題や人間関係の複雑化にはそれ以前を知らないなりに揉まれてきたと思う。
突然普及して麻薬のように一時的な快楽をもたらし生活を蝕んでゆくSNS。
誰かに「いいね」をもらって、それが多い人間は、果たして偉いのか?
小さな自尊心、虚栄心を何かしら“表現”の形にして自らの存在を主張できる人間が、人より優れているのか?
『すばらしさの裏にある地獄をかき分ける』
『内側から腐っていく傷み』
『自己否定の先にある「自滅」』
小学生時代から成長とともに変化していく環境と、形作られていく自己に翻弄される六人の物語を読み終わったあと、巻末の特別付録にある言葉がドシンと胸を突いた。
「ありのままでいい」と言われ、競争を排除された時代に生まれた、他者との比較でしか自分を見出せない地獄。平成で起こった事件犯人の動機やインタビューを静かに分析している作者を恐ろしく感じながらも、納得している自分がいた。
「変わってるね」「他の子と違う」と言われた幼少期、とくに気にすることもなく「それが自分」だと思い込んでいたような気がする。
大人になって、自分の趣味や好きなこと、生き方に恥ずかしいと思うことはない。けれど「変わってるね」と言われるのは、なんだか恥ずかしい。
他人の声はどうしてこう耳にこびりつくのだろう。
『潮騒』 三島由紀夫
ギリシャの古典『ダフニスとクロエ』に触発された三島が、若い二人の清純でありながら生命力に満ちた姿を描き出す恋愛小説。
1954年、三島が29歳の時の作品。
やはり夏といえば三島由紀夫。いや、季節関係なく読んではいるのだけれど、夏に三島を読んでいると言葉の背筋がしゃんと伸びる。
晩年の政治的活動が記憶に新しく過激な小説家だとイメージの強い三島だけれど、この潮騒にはとても繊細な恋人たち馴れ初めと、その内側に眠る情熱が描かれている。
島に生きて死ぬと決めていた真面目な青年、新治の愚直な恋心と、年老いた父のため島に来た、初江の清らかなまごころとが、嵐や時代の荒波を乗り越え重なり燃えていく。
「その火を飛び越してこい。その火を飛び越してきたら」
暴風雨の吹き荒れる灯台のなかで濡れた服を脱いで裸になり、あたため合おうと焚き火を飛び越す場面はあまりに有名だと思う。
けれど、静かに互いの呼吸の音を聴きながらキスをするだけで、浜辺で拾った貝殻を見せるために身体を離すなんて初々しさに変な声が出る。
20歳そこそこで『仮面の告白』というセンセーショナルな自叙伝的小説を書いたとは思えないピュアな物語に打ちのめされる。
『美しい星』 三島由紀夫
三島由紀夫のSF小説──とんでもないな、と思いながらも高校生の夏、この本を課題提出で読んだことがある。読み終わってもとんでもないなと思った。
しかし
核実験停止も軍縮もベルリン問題も、半熟卵や焼き林檎や乾葡萄入りのパンなどと一緒に論じるべきなのだ。
この一文は、戦後の時代を生きた三島にも現代社会を生きる我々にも、深い共鳴を呼ぶだろう。
それまで地球人として、いや、自分の生まれた星についてなど考えもしなかった一家が、ある日突然、自分たちは(家族それぞれ)別の星の生まれであると、宇宙人としての自覚を芽生えさせる。アプローチの仕方は違えども、父、母、兄、妹それぞれが地球の世界平和のために、仲間を集め奔走する。
これまでの三島の純文学と並べるとファンタジー色が強いのは否めないが、情景描写や会話表現からは三島由紀夫らしさが滲んでいて、つい言葉にしたくなる文章がならんでいる。
三島由紀夫自身が、コンプレックスを抱える弱さを知っていたからこそ、文章を書くことで世界を相手に戦っていたのだと思う。
芸術至上主義であり超唯美主義であった三島由紀夫が志した宇宙的観測視点。宇宙やUFO(空飛ぶ円盤)に傾倒しながらも、20歳で原爆投下、そして敗戦の終末を見ていたからこそ文壇で問題視されるほどの政治的干渉した文学を残すことができたのだ。
彼ほど生き様を“芸術”と呼べるひとを
わたしは知らない。
ちょうど去年の夏、
同じ時期に書いた三島小説オススメがこちら。
ところで『美しい星』を読んでいたら愛する推し、藤原竜也さんの10月スタートドラマが発表され運命を感じた。
というのも、
最先端科学でも解決できない“不可解な異常事件”に挑む本格ミステリードラマ
と公式が謳っており、竜也さんご本人もSF好きとして興味を示されているからだった。
まあ宇宙人はでてこないと思うけれど。
脚本・黒岩勉さん、演出・石川淳一さんとヒット作を生む方々との新しいお仕事がとても楽しみ。