見出し画像

泥中に咲く一輪の白い花(31)

  新しい生活のスタート。

ホームの仕事は掃除から始まった。廊下、階段、お手洗い、お風呂場、一階のホール。各階の談話室。畳の娯楽室。二人一組で教えて貰いながら一日中、掃除した。
暫くすると、洗濯や調理助手もするようになった。
とにかく言われた事をするだけの日々を過ごす。
3か月もすると、介護実習が始まった。数カ月かけて資格を取った。入所者の世話もするようになった。おむつがえ、床ずれ防止の体勢変更、着換え、入浴補助。体力も気も使った。身体の小さな桜子、それでも頑張った。
半年もすると、夜勤も頼まれるようになる。一人暮らしで特に用事も無い桜子、喜んで引き受ける。
手を抜く誰かの悪口を言う事もしない。誰に対しても感情を表わさず、かといってきつい顔をするでもない桜子。そんな桜子への信頼が増して行く。夜職の経験からなのか、感情的になる入所者へも柔らかく、同じ職員の間も近づきすぎず離れずの距離。話題も社会的な事から、メンタルの相談まで幅広くする。

入所者を相手にして思う事。
職員や他の入所者と話す時は笑顔で話し、1人になれば悪態をつく人の本当に多い事。
自分の物が見当たらなければ、直ぐに「泥棒が入った。」と言ったり、頼まれた事が直ぐに出来なかったりすると「詐欺師」と言ったり。
了解を十分に得てからでないと、部屋にも入れなく、黙って入ればテリトリーを犯されたと激高する人。

【あの母親とおんなじだ、、、、、、みんなそうなの?、、、誰だってそういうものなの?】
桜子にとって、なんら特別な人たちでは無かった。昔の自分がもう少し大人であったなら、、、今の自分の内の少しでも、あの頃に備わっていたならば、今でも親子3人だったのだろうかと思う夜もある。
涙は出ない。私はそんな女。

気になっていた事をマネージャーに聞いてみた。
「あの、聞いていいですか?直ぐ採用、直ぐ寮へ入居って、、、人手不足だからですか?」
「ん?、あ~、、、、うん、覚えていないでしょうね。5年くらい前の事、、、桂里奈さん。俺、覚えてましたよ、、、
 早くて、小さくて、、、オドオドしてて、、、そんな俺の頭を撫でて、「大丈夫です。気にする事、無いですよ」って、、、
 それから何度か行って、、、覚えてないすよね、、、、でも俺、覚えてて、、、顔見て、声聞いて、やっぱりって。
 あれから俺、ちょっと自信も出てきて、彼女も出来て、結婚出来て、こっちに来て、、、まあ、そう言う事で、、、」
「そうだったんですか、、、私の事覚ええて、、、そう、でも、、、辞めちゃったし、もうそういう事、、、、するつもりないし、、、」
「はい。なんとなくそう言う気がしました。介護の仕事、やっちゃってください。じゃ、頼んます。」言われれば、見た事のあるような顔。でも、今は顔付きが変わっている。自信がついたからと思う。マネージャーは違う桜子を見てくれていると思えた。今の桜子を見てくれていると思えた。これからの桜子に期待されてるとも感じた。


そう言えば、この街へ来てからもう一人の桜子が現れていない。
酷く辛い事が無いからだろうか?
もしこれから起きれば、現れるのだろうか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?