妄想爺のとんでも史観 (37)
妄想爺のとんでも史観 (37)
壬申の乱
大陸の国が、隋から唐へと移り変わる頃、半島では高句麗が南の豊かな国目指して侵攻を繰り返しています。
鉄などの鉱物資源、水路や耕作地開拓によって増産された農作物の栽培、沿岸部の豊富な水産資源を奪う為。そこには、争いを避ける為の決まりや力が有りました。そうです。この国と同じ希魂荒魂が既に根付いていました。
海を隔てた島国と、同じ文化圏、同じ人たち、同じ認識の人たちでしたが、長い争いの中で、違う物差しや価値観が生まれていきます。
大陸の人達が侵攻する時には、そこは基本根絶やし、殲滅。生き残る為に選ぶとすれば、家畜としての立場を選ばざるを得なくなります。もしくは、いち早く逃げた者たちが体制を整えた後の、自分たちの住んでいた場所の奪還作戦となります。
百済、伽耶、加羅、任那、新羅からこの国へと避難、移住、疎開が継続していきますが、長引けば長引く程、諦めムードが蔓延り始めます。意見の違いが大きくなって起きたのが、乙巳の変です。
奪還作戦反対派の蘇我入鹿暗殺クーデターの後、中大兄皇子と扶余豊璋は、故郷奪還へ向かい失敗。帰還して琵琶湖の畔に集団移住します。白村江の戦い、近江京です。
新羅から移住していた高向王らが、大陸の新王朝唐の指示を受け、この国の混乱は継続していきます。
大海人皇子( 高向王の子と言う説があります。)は、唐からの治安維持部隊の長。とか言いながら、唐から指令を受けた属国への作戦遂行者。もしかして、公孫氏の則天武后からの使者。高句麗とは違う勢力です。
入り乱れます。唐の基本戦略は潰し合いだったのでしょう。何がなんやら当時の人も良く分からなかったのではないでしょうか?
半島の事は諦めよう。この国の中だけで生きていこう。
この国の豪族を始めとする人たちは、それを選択しました。そこで、大海人皇子を担ぎ上げます。物部氏の姉妹をあてがいます。
この国に似合わない人達を一掃すべく内乱を計画、実行しました。
壬申の乱です。
熊野、伊勢、尾張、近江の豪族が中心となり、唐と新羅側の大海人皇子とともに、半島南部側の中大兄皇子、扶余豊璋らを潰しにかかります。
唐と新羅側の大海人皇子側が勝利し、半島の権益を放棄します。また、この国への介入を諦めさせる代わりに、大海人皇子をこの国のリーダーへと立てます。いずれは唐へ帰順しますとの意思表示として。
九州に居た唐の大群は、これにより半島へと引き返します。半島の治安維持と言うか、唐の属国の一部として高句麗を立て、国造りをするためです。
この国は、百済、伽耶加羅任那代表としての藤原不比等や秦氏と、従来からの豪族とで立て直しが図られます。
半島を手放すという選択を受け入れてくれた見返りに、それなりの権益を与えました。それが平城京や平安京へと繋がっていきます。
従来からの豪族代表、半島にあった国や豪族との関係が深い一人の姫が、調整に当たります。
その役目がもうすぐ終わりそうだとゆう頃、歌を一つ読みました。
「春過ぎて 夏来たるらし 白たへの 衣干したり 天香具山」
春とは何だったんでしょうか。過ぎて、、、昔の事、、、何かが去っていったのでしょうか?
夏とは何なのでしょうか。暑い季節でしょうか、実りの秋に繋がる生育の夏でしょうか?
白たえとは、天の羽衣の事だそうです。今上天皇もその羽衣を纏い、神事をされるそうです。
その羽衣を、干しているのです。脱いでしまっています。誰かに譲ったのでしょうか?
天の香久山とは、ヤマト3山と呼ばれる神の山の一つです。その3山とは、
天香久山(あまのかぐやま、あめのかぐやま、152m)
畝傍山(うねびやま、199m)
耳成山(みみなしやま、140m)
ヤマトの地を、大穀倉地帯と大流通センターにした物部氏や出雲山陰族、労力提供の東海地方。
天と地と人と、和魂、希魂、荒魂が揃わなければ、幸魂は生まれません。
三位一体の表現としての天の香久山は、何に比定されたのでしょう。
現存する神社の由緒や言い伝えなどでは、直接的な事は分かりません。
妄想に任せるしかない様です。
端から妄想以外の何物でもない、このシリーズ。
根拠なんてありません。伝聞は変質し、記録は真実が書かれているとは限りません。
埋蔵物からの学術的研究は、過去の記録に左右されます。新しい確認方法はなかなか認知されません。
なので、私の様な妄想話もそれなりに聞き流してください。
ではまた、お会いしましょう。
ごきげんよう。
やまとやじろべえでした。