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【シンプルに暮らしたい】一年で一番憂鬱な日(人生の分岐点になったトラウマ)

こんにちは。すうちです。

すっかり季節が変わり朝晩寒くなりました。最近寒さに耐えかねて毛布や冬用の布団を出しました。今年の冬はインフルエンザも流行るかも、という事なので体調管理は今まで以上に気を付けたいです。

突然ですが、皆さんは1年に憂鬱な日は何回あるでしょうか?私は最低年に1回は必ずあります。

そもそも憂鬱な日というのは当日急にそうなる訳ではなく、あらかじめ先に予定が決まりそれが近づくにつれ気分が落ち込む過程がある気がします。

今回は年に一度訪れる憂鬱な日、健康診断(人間ドック)とそれがきっかけで当時考えた事の話です。

※タイトルはたけのこさんのイラストです。ありがとうございます。


はじめに

なぜ憂鬱かと言うと過去の健康診断でトラウマがあるからです。だいぶ前に一度ふれましたが、40代になってすぐ健診で病気が見つかり入院した事があります。

当時診断頂いた医師の方の深刻な表情や淡々とした病状の説明は今も頭にはっきり残っています。

毎年健診はスイッチが入ったようにその時を思い出して怖くなってしまうのです。。。


健康診断の光景(昔と今の私)

昔(20~30代)

いつも健診結果は特に問題なし。入院する様な病気になったこともなく、有難いことに比較的健康だったと思います。

健診で毎回気になる事と言えば(もうとっくに成長期は終わったのに)身長・体重程度。「身長2mm伸びたとか」とか「体重1キロ増えた」とか明らかな測定誤差に一喜一憂するようなおめでたい人でした。

35歳から人間ドックになり、胃の検査で飲むバリュームと発泡剤は苦手でした。飲めた後の胃の圧迫感や気持ち悪い状態のまま、軽い遊園地のアトラクションのようにぐるぐる回って胃の状態を撮影するのに耐えきれずゲップが出たり、再び飲んでやり直しの悪循環にハマったのは初年度の思い出です。


今(40代)

最初の問診から緊張状態です。当然心拍数はいつもより高め、血圧もたぶん高めに出ていると思います(検診後半に測る2回目がいつも数値下がる)。

あまりに緊張するので、最近は「健診がトラウマで緊張するんです」と事前に看護師さんに告白しています。そうすると大抵「そうなんですね、そういう人も多いので大丈夫ですよ」と優しく言ってくれるので、心の声を外に出す効果もあるのか、以前より落ち着くようになりました。

ちなみに今は胃カメラ検査にしています。以前、複数ポリープが見つかって再検査になりました。バリューム検査はポリープの正しい診断が難しいらしく年1回の検査は胃カメラの方が確実と言われたのでそうしてます。

胃カメラも初年度は大変でした。昔に比べ今のカメラはだいぶ細く小さくなったそうですが、それでも最初はカメラが上手く飲み込めず不快感で1秒でも早く終わってほしい気持ちで一杯でした(さすがに今は大分慣れましたが…技術の進歩で錠剤型胃カメラなど早く普及して欲しい)。


結局手術することに決める

冒頭の話に戻ります。検診後紹介された別の病院で再検査することになりました。結果は「すぐ命に関わることはないが将来的にリスクあるので手術をすすめる」と言うことでした。

健診では深刻な表情で「すぐ別の病院で検査するように」言われ、しばらくストレスで余計体調悪くなった気がします。紹介された病院では「すぐ命に関わる状態ではない」と言われて「なんか温度差あるなあ」と思いつつ、少し安堵したのを覚えています。

そこは専門医在籍の病院で更に詳しく病状を説明してくれましたが「将来的にリスクあり」という診断だったので、家族や当時仕事の上司とも相談して、休暇取って手術する事に決めました。


当たり前と思ってた有り難さを知る

生々しいのであえて病名は書きませんが、それからは「なぜ病気になったんだろ、なぜ自分なのか」とよくドラマで見かける登場人物のような気持ちが続きました。

私の場合、身体を壊した要因の一つは若い頃の不摂生な生活かもしれません。毎日23時前後まで働き、帰宅は0時過ぎ。その後ストレスを発散するように娯楽にふけりひどい時は4時くらいまで夜更かしの生活。睡眠時間も3〜4時間程度。それが積み重なり身体が知らない間に悲鳴を上げていたと思います。

診断から手術日までしばらく間があり生活でいくつか制約もありました。当時考えた事は「健康でないと気持ちや行動に制限がかかる」「身体を壊して働く意味があるのか」「今後の人生で自分の時間の使い方は今のままで良いのか」などです。

世の中には色んな病気やハンデを抱えながら働いている方も多くいると思います。ただ、それまで健康である事に無意識だった私は、この時初めて制限なく暮らせる有り難さを身に染みて実感するようになりました。


今思うとこのトラウマが人生の分岐点

幸い手術は無事終わりその後3年くらい経過観察で通院しましたが、それ以降の健診でも今の所は問題なく、以前より制限も緩和されて暮らせています。

振り返るとこのトラウマがきっかけで、働き方や余暇の時間の使い方を考え直したり、若い頃は無限に続くと思ってた残りの人生を意識するようになりました。ある意味人生の分岐点だった気がします。当時なんとなく続けていた仕事よりも自分がやりたい方向に舵を切って転職した事も結果繋がっているかもしれません。

私の場合、たまたま病気が見つかって良かったと考えるのが正解で、もし健診で見つからなかったら知らずに病気で死んでいたかもしれません(そっちの方がよっぽど怖い)。その意味では病気を見つけてくれた健診に感謝すべきと思っています。


じゃあ結局、なぜ健康診断が怖いのか

自分の人生を変えたトラウマだけど感謝すべき健康診断。早期に病気を見つける欠かせない事と頭でわかってるつもりですが、なぜ怖いのか改めて考えました。

一つは何か病気が見つからないかの不安。これは当然ありますが健診の目的でもあり、その時はできる事や治療を選択していくしかなく対処は明確です。ただそれ以外にモヤッとした気持ちが残ります。

別の言葉で心の不安を表すのにしっくり来たのは、少し広い意味で

自分の老いと向き合い、今後の人生を意識する機会だから

健診結果の数値は少しずつ下降気味で時々再検査の項目もあり、それを毎年数字でバシッと知る恐怖がある気がします。

多分これから劇的な改善はないだろうし、上手く身体と付き合って食生活や運動習慣でいかに健康寿命を延ばせるかが課題かなと思います。

一方で最近医学や科学の進歩は目覚ましいので「今は有効な治療薬がない病気も長く生きていれば治る可能性もあるかもしれない」という個人的な期待もあります。

という訳で毎年憂鬱な健康診断ですが、しっかり結果を受け止めて少しでも長くやりたい事ができるように今後も健康管理に努めたいです。


最後に

今年の憂鬱な1日は先日終わりましたが、まだ正式な結果は届いてません。基本的に大きく変わらないと思いますが、昨年から視力低下が激しいです。たぶん年齢的に老眼も進行してたり…笑、仕事柄ずっと目を使う影響かもしれません。

余談ですが、以前テレビか本で、高齢の方に「元気ですか?」と声かけるのは余りお勧めしないという話がありました。

人間、歳を重ねると何かしら身体に不調が出たり、病気を持っている方も多いので若い人と同じような元気という定義でいられる人達は少数派。むしろ身体に不調はありつつも変わりなく暮らせている事が尊いので「変わりないですか?」と声をかける方が適切ではないかという提言でした。

自分もそれなりの年齢になり高齢になった両親を見ていると、この話は実感としてわかる気がします。

身体だけでなく心身の健康維持も大変な世の中ですが、健康でいられる事、変わりなく暮らせている事はその人の財産だと思います。

私の場合、健康診断の恐怖が完全になくなる事はないかもしれませんが、今回書いたことを思い返して、少しでも前向きに!?今後も健診を続けようと思いました。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。


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