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「くまさん」の音読

小学一年生の娘が、
音読の練習をしている。

毎日、同じ短いお話を読んで、
親がちゃんと聞いた印に、
音読カードに印を押す。

そろそろ、暗唱できそうだな、
と思った頃。

「くまさんが…」という物語の出だしを聞いて、
自分が、小学生の頃に暗唱した、
まどみちおさんの詩を思い出した。


くまさん
 まど・みちお

  はるが きて
  めが さめて
  くまさん ぼんやり かんがえた
  さいているのは たんぽぽだが
  ええと ぼくは だれだっけ

  だれだっけ

  はるが きて
  めが さめて
  くまさん ぼんやり かわに きた
  みずに うつった いいかお みて
  そうだ ぼくは くまだった
  よかったな


初めて先生が読んでくれた時、
「ええと ぼくは だれだっけ だれだっけ」
のところが、子供たちの笑いを誘った。


自分が誰だか忘れるなんて!

とぼけたくまさん!


なんでこんなとぼけた詩を、
何度も読まなきゃいけないんだろ。

本が好きでもう少し難しいお話に夢中になっていた私には、なんだか子供っぽい気がして、少し反感を覚えた。

けれど、低学年の私は、
「先生に、【よくできました】をもらいたい」とという一心で、繰り返し練習して覚えた気がする。




なんと、この詩は、今も、
そらで詠むことが出来る。


夫も覚えていたらしく、
私が詠みはじめると、声を合わせて詠んできて、
最後にくすくすと笑った。

これは、
あの頃のバカにしたような笑いとは違う。
お互いの小さい頃に出会ったような、少し嬉しい恥ずかしいような気持ち。


また、
久しぶりに口に出してみると、
今の自分にストンと落ちた。

まさにこのことなのかな、と。


他人にあぁだこうだ言われる中で、
もしくは溢れる情報と自分を比べて、溺れて、
自分が誰か、分からなくなることがある。
隣のたんぽぽのことは分かるのに。


大人になって初めて知ったんだけどね。
と、
子供の頃の自分に、話しかけたい気持ちになる。

子供の頃は、
そんなこと、思いもしなくって、笑い飛ばしていたのにさ。
あるんだよ。ほんとにね。

もしもこの先、自分が分からなくなったら、
この詩を思い出せばいいよ。
きっと、寄り添ってくれるから。
何十年も覚えているくらい、一生懸命、練習したんだから。



娘にも伝えたい。

あなたは今、とってもいい顔をしている。

好きなことや、
自分自身を、忘れそうになったら、
水にうつった自分の顔を、
真正面からみてごらん。

きっとくまさんのように、
あぁよかったと思い出すことができるから。


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せやま南天
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