粕汁と母の思惑
私の実家は木造建築に、瓦屋根という、
田舎の一軒家なのですが、
冬の冷えは相当なものです。
朝はすぐには起きれません。
もうこれ以上寝ていたら学校に遅刻してしまう!
というギリギリに布団から飛び出し、
半纏を着込んで、石油ストーブにあたりに行く。
外から帰ってきたら、冷たい床をつま先で歩き、
こたつにもぐり込む。
という毎日です。
そんな寒い寒い家の中ですするのが、
「粕汁(かすじる)」です。
粕汁。
具材は大根、にんじん、こんにゃく、油揚げやごぼう、そして大事なのは鮭です。
いい出汁が出ます。
これらを煮込んで、酒粕を溶かし、
最後に青ネギをたっぷり散らします。
私が死ぬ前に食べたい、母の味、です。
小学生の頃は、こんなに地味な汁物が、自分の一番になるなんて、考えてもみませんでした。
たまにしか食卓に上がらない、スパゲティとかハンバーグといった洋食の方が断然輝いて見えていましたから。
けれど、大学時代、
夜遅くまで部活に明け暮れた日々。
「晩御飯はいらない」と母にメールしたのに、
帰ってきて扉を開けた瞬間、鼻腔をくすぐる酒粕の香り。室内の暖かさと、親しんだ香りに、ふぅっと肩の力が抜けます。
鍋に残った粕汁を指差し、
「これだけ食べる」と澄ましたふりして言ってしまうのでした。
母は、「えぇ?」と変な顔を大袈裟に作り、
粕汁をよそってくれました。
それは母の作戦だったように思います。
野菜を沢山摂れて、
魚も入って、
あたたまる。
年頃になって、
家族と鍋を囲まなくなり、
食事が不規則になった娘の身体を気遣って、
作っていたのかな。
と、自分が母になって思うのです。
これなら食べる、とお見通しなのがほんの少し癪でしたが。
月日が経ち、
社会人になって一人暮らしを始めました。
忙しくて自炊もままならない中、
ふと食べたくなるのが粕汁でした。
気づくと、どうしても食べたくなる。
ネットで調べて作ってみることに。
しかし第一の難関。
酒粕が売っていない。
関東の小さなスーパーでは、
当時はほとんど取り扱いがありませんでした。
今は、発酵食品のブームもあり、
取り扱いが増えているかと思います。
何件ものスーパーをめぐり、見つけ出しました。
ここで第二の難関。
酒粕が溶けない。
味噌みたいにみそこしで溶けると思ったのに、硬い。硬くて溶けない。
後から聞いた話だと、
母はすり鉢とすりこぎに熱湯を少しずつ注ぎ、
溶かしてから、鍋に入れていたそうです。
そんな苦労があったなんて。
こうして、なんとかかんとか、
酒粕は溶けているのかいないのか分からないけれど、
難関を乗り越え、作った粕汁が出来上がりました。
一口食べて。
「おいしいけど、なんか違う」
と頭捻りました。
そうして、年末年始。
帰省したその日に、
「何か食べたいものある?」と聞く母に、
「粕汁」と即答するのでした。
ちなみに、
2つ下の弟は、帰省から一人暮らしの家に戻る前、
最後の食事に食べたいのが「粕汁」のようです。
なるほど、そっちか。
私は粕汁を食べ、帰ってきたんだと感じ、
弟は、明日からまた頑張るぞと思っているのです。
母の思惑にはまりながら、
そんな味があることを幸福に感じるのでした。