商店街の本屋さんの棚をのぞいて、感動したはなし
旅先の商店街で、
黄色い屋根の本屋さんを見つけた。
うわぁ、なんか懐かしい感じ‥
店の外には週刊誌、月刊誌が置かれている。
入るとレジ近くにくるくる回る絵本コーナーがあり、女性誌、旅行誌がこちらを向いて並び、中高生の参考書がギュギュッと立てられ、その奥が文庫本、ハードカバー本だ。
幼い頃、どの商店街にも必ず1軒はこんな感じの本屋さんがあった。
最近は、めっきり見なくなったその姿に、吸い込まれるように店内へ入った。
正直、期待はしていなかったのだ。
こんなに小さな店内だもの。大型書店に比べたら品揃えも何分の一だろう、と。
けれど、予想はいい意味で裏切られた!
めちゃめーっちゃ、長居してしまった。
新旧、さまざまな本が並ぶ店内。
そこには、店主のこだわりがふんだんに詰め込まれていた。
海外文学
科学
詩集
歴史書
などが、店内の広さの割に幅を占めていて、ことさら目を引いた。
見たことのない本がたくさんあったし、
相反するようだけど、
昔からの定番の本もたくさんあった。
定番の本って意外と今、本屋で実物を見かけない。
そして、
並べ方のセンスが異様によく、
私の興味のスイッチを押しまくってくる。
これなのよ。お買い物って。
探しものが見つかるインターネットではなくて、
探していなかったものと思いがけず出会える場所。
それに本屋って、
こんなに雄弁で、
こんなに面白い場所だったのか!!!
と気づいた。
よく、
「他人の本棚を見ると、その人の頭の中が見える」というけれど、昔ながらの本屋も、きっとそういう場所だったんだ。
店主が、
何を読んで育ってきたのか。
何を大事に思っているのか。
何を危機ととらえているか。
何を応援したいと思っているのか。
そんなことが透けて見える。
今の大型書店は、手書き風のポップがたくさん並んでいる。けれど、だれの顔も、頭の中も見えない。違う系列の大型書店同士を比べても、置かれている本も、平積みになっている本も、本の並び方さえも、既視感がある。きっとシステム化され分析され続けると、今、売れる本だけが前に出て、売れなくなればすぐに下げられ、新しい本に代わられるからかもしれない。個性が出ない。でも、読んだことのない本は山ほどあるし、手に取って見られる本屋さん自体が貴重な時代に突入しているのだし、間口の広さも大事な観点ではあるから、感謝を込めつつ行くのだけれども。
しかし、この商店街の本屋は、圧倒的に唯一無二だ。
店主の豊かな人生を感じる。
そして、
そうそう、私もこの間こんな話を聞いたから、こんなことが知りたかった。
実はこんなことにも興味あったのに忘れてた。
あの本で引用されていた、この本が読みたかった。
なんてことを思い出して、次々に本を手に取り、ページを捲る。
チラリと会計の方を見やると、白髪で、背中がゆるやかにカーブを描いたおじいちゃんが、静かに穏やかに店番をしていた。
この人の良さそうなおじいちゃんが?!
こんなにセンスの良い、そして主張のある本のチョイスと並びを?!
すごい!意外性がすごいー!すっごいリスペクト!!
この時代に、生きて本屋を続けてくれていてありがとうございます!!!!
おじいちゃん店主さんが、あの小さなお店の本棚の前で、首を傾げながら本を選び、日々本棚を綺麗にし、自分の選んだ本を愛おしそうに眺めているさまを想像したら涙が出そうだった。
感動のあまりハグしたいところだったけど、おじいちゃんが驚いて腰を抜かすといけないから、そっと2冊だけ本を差し出して、購入した。
キャンペーン的なものとは関係ない本を買ったのに、店主さんは「良かったら‥どうぞ」と、オマケをこっそりつけてくれた。あったかい。そんなところまで裏切らない。
今回は旅の予算もあって、
本2冊しか買えなかったけれど、知的好奇心を刺激されまくった。
本2冊の代金に対して、与えてもらったものははるかに大きい。そんなに遠くない場所だし、また絶対に買いに行く。通販はやっていないから、また何度も足を運ぶ。
売っている人、作っている人の大事にしていることや、実現したいことが見えるお店っていいなと改めて思う。本屋に限らず、カフェでも、雑貨店でも、日用品店でも。
大事にしていることが、
私と同じでもいい。違ってもいい。
同じなら共感して、
違ったら理解しようとして、
それは良い刺激になる。
そして、何度も通いたくなるのだ。
そういう場所を応援したいし、
そういう場所で買い続けたいなと思った。