アマレットソーダ
一人でいることの良さを僕は知っている。誰にも邪魔をされずに、好きなことを好きなようにできる。最近は、バーで酒を飲むことを覚えた。今日も若いマスターは、爽やかな笑顔を見せながら僕に言う。
「アマレットのソーダ割り?」
「はい。それとミックスナッツもお願いします」
先に出てきたミックスナッツの中からピーナッツを一つ手に取り口に運んで、カラカラとお酒を作るマスターの手元を眺める。氷の音と流れるような作業が心地良い。店内の静かなジャズ音楽も良い雰囲気を演出している。
「アマレットソーダです」
ほのかな杏仁の香りに乗って、甘くほろ苦い味のするこのお酒が好きだ。あと洒落た名前をしているので「アマレットで」と言う自分もちょっぴり好きだ。
口数の多くない僕に気を遣っているのか、マスターはあまり話しかけてこない。でも誰かがそこにいるという安心感を味わえるこの空間が僕は好きだ。しばらくしてカランコロンとお店のドアが開く。
一人の若い女性客がやってきた。二つ離れたカウンター席に彼女は座る。マスターが何を飲むか尋ねると、彼女は「んー」と少し悩んでからこう言った。
「あれは何ですか?」
どれのことだと思って彼女の方に目を向けると、こちらを見ている。正確には僕の飲んでいるお酒を見ている。そのまま目が合ってしまった僕は、何だか気まずくてすぐにマスターの方に顔を向けた。
「これはアマレットというアーモンドのような風味のリキュールをソーダで割ったものです」
「それじゃあ同じものをください」
「かしこまりました」
バーといえば自分の好きなものを好きなように飲むものだと思っていたが、こんな風に人が飲んでるものと同じものを頼む人もいるのか。しかしそういう飲み方も、自分では出会えないお酒に出会える気がして楽しそうだ。
「あのー」
それにしても彼女はいくつくらいだろう。自分とそう年も変わらない気がする。この人も一人で飲むのが好きなのかな? それとも誰かと待ち合わせしてるのか?
「あのー」
こういうバーで女性と出会って仲良くなって親密な関係になるみたいな展開、かなり魅力的だな。でも実際にあるわけないよな。ん? 今「あのー」って聞こえた?
パッと声の方へ顔を向けると彼女がこちらを見ていて、三度目の「あのー」を発した。
「あ、すみません、ボーッとしてました。なんでしょう?」
さすがに恥ずかしい妄想を繰り広げていて、周りの声が聞こえませんでしたとは言えない。
「いつもアマレットを頼まれるんですか?」
「えっと、はい。大体アマレットです」
はい、終わった。会話終わっちゃったよ。何か気の利いた質問で返せよ。と頭の中の自分が言う。
「さっき別のところで飲んでたんですけど、ほろ酔いになると少し気が大きくなっちゃいますよね」
え?俺いま気が大きいような発言した?意図せず無視したから?頭の中でいろいろ考え過ぎて思考が言葉として出てた?なんて考えながら僕は「あ、なんかすみません」と言った。
「あ、違います違います」と彼女は少し微笑んで、続けてこう言った。
「私の気が大きくなってて、知らない人に話しかけちゃいました。何となく雑談したい気分で」
あ、そういうこと。それなら良かった。知らない人って……そうだけども。ていうかこれもしかして親密になれるフラグでは?
「あなたは、初めて飲むんですか?アマレット」
「はい、初めてです。たまには誰かが飲んでるやつ真似して飲んでみるのも楽しいかなって」
「なるほど。お口に合うかわかりませんけど、僕は甘くてほろ苦い感じが好きです。カフェラテで割っても美味しいんですよ」
彼女は、アマレットソーダをコクリと一口飲んで、グラスをコースターの上に置いた。
「わ、ほんとだ。アーモンドっていうか杏仁豆腐みたいな風味がしますね。美味しいです」
「お口に合ったようで良かったです。」
「それ私のセリフですよ」
咄嗟のマスターのツッコミのおかげで、彼女がクスッと小さく笑った。とても魅力的な横顔だった。マスターは、空気を読んでかあのツッコミ以来あまり会話に入ってこず、自分の仕事に集中しているようでちょくちょく聞き耳を立てているようだった。
気づけば席2つ分の距離が縮まっていて、僕らは他愛のない会話に華を咲かせた。小さなデザイン会社で働いていること、実は同い年だったこと、好きな小説が一緒だったこと、映画館では必ずキャラメルポップコーンを食べること。そしてお互い恋人がいないことも。これは大きなチャンスだと思った。全く出会いのない日常の中で、毎日がモノクロからカラフルに変わる分岐点だと。そして意を決した。
「あの、良かったら連絡先交換しませんか?」
「あ、ぜひ」
思いのほか即答で、僕は少しだけ安堵した。本当は、コースターの裏にでも電話番号を書いてやりたいが、今の時代はスマホで簡単に連絡先を交換できる。QRコードを読み込んで友達に追加するだけだ。晴れて僕らは、画面上での友達同士になれた。知らなかった名前も、ここでようやく知る。
「そろそろ」
「そうですね」
別々にやってきたこの店を一緒に出て行く僕らを見て、マスターは不敵な笑みを浮かべながら僕にだけ見えるように小さく親指を立てた。
甘くほろ苦い何かが始まる気がした。
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