「解釈」についてはまだまだ書くことがある
「自己実現」から「自他実現」へ ©1981cos-com No.6
そもそも私が「解釈」について考え始めたのは、小学校の頃だったかも。
「何のことについて」だったのかは忘れてしまったのですが、たしか姉妹3人で母親に叱られて・・・
その後、同じ家族で同じ話を聞いた3人なのに、姉たちと私の「受け止め方」が違うことにびっくりしたんです。どう違ったかも忘れましたが。
そんなことに気づいてしまったので、学校で授業を受けていても「どうしてそれが正解なの?」なんて感じることも多くて。
全てに関してではないですよ。
「そうか、そう考えるものなんだ」と「言葉にできないけどモヤモヤするなぁ」というところの折り合いをつけていたかもしれませんが「みんなと同じように考えないといけない」のは、ちょっと辛くて苦しかったかも。
あ、そういえば授業の後に隣の席の男子が「俺、先生の言うことさっぱりわかんなかった」と言うので「こういう意味で言ったんじゃないかな」なんて「解説」してあげたら、自分の言葉にできたことでスッキリしたことを思い出しました。
大人になってから、同じ種族(言葉にできないモヤモヤ族)がかなりいることを知りましたが、モヤモヤのままで他者に合わせている人も多いことにも気づきました。
そしてその「非言語領域」についての「解明の糸口」を見つけたのが、私のライフワークの発端だったと思います。