中野信子さんの努力不要論を読んで

ハイライトをメモ

見返りを求めずに努力できるか?

人が持っている能力は、生まれつき持っている才能でどれくらい決まるのか、努力でどれほど変えることができるのかについて、一定の知識を得てきました。

こうした知識を持って、世の中を見てみると、じつに無意味な努力を重ねさせられ、そのうえに搾取されてしまっている人が多いことがわかるのです。本当は、声を上げるべきなのに、すべて自分のせいにしてしまう。 
それを美しいという人もいるでしょう。声を上げないのは日本人の美徳だという人もいます。
でも、本人は苦しい。

また、「努力は報われると思う人はダメですね。努力を努力だと思ってる人は大体間違い」と持論を展開した。

「努力すれば報われる」は本当か?
「努力は報われる」が、 100%事実なら、
これほど多くの人が「努力は報われるんだ!」と声高に主張しつづける必要はないからです。
声を上げて奮い立たせなくても、当たり前のことになっているはずです。


人というのは通常、持っている力のすべてを出し切って生きているわけではありません。「本当はここまでできるはず」という最大値の半分、がんばってもせいぜい 8割くらいしか力を出していないのです。
全力を出し切ってしまうと身体へのダメージが大きいからです。

確かに努力すれば、その人の持つ可能性の最大値まではスピードアップできます。
けれども、限界を突破してウサイン・ボルトのように優れた記録を残せるほど走れるか、というと、まず不可能です。

エジソンの真意をみても、99%努力しても 1%のひらめきがなければ無駄、ということを言いたかったのだといわれています。  


また、ある遺伝子を持っていると 20%ほど記憶力が良くなるという報告があります。つまり、試験で点数がどれだけ取れるかは、遺伝で大きく差がついてしまっている。

本人はとてもがんばっているつもりでも、授業を聞いているだけで点数が取れてしまうタイプの人に勝つのは至難の業です。
練習を積んだからといって、みんながボルトのように走れるようになる訳ではありません。

ただ、受験のために必要な能力のうち、記憶力以外の部分、論理的な考え方をする力とか、
学習しやすい環境を整える能力などというのは意外と後々まで伸びるのです。

この、伸ばせる部分にフォーカス出来るかどうかで、努力が本当に報われるのかに違いが出るのです。

だから、頭を使って。
不要な努力ではなく、賢い努力をしていくべきなのです。

これは、学校教育や親の教育を真に受けていると難しい可能性が高いので、気をつけて、やはり、一人一人が頭を使って生きていきましょう。


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