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水は低きに流れ、人の心もまた低きに流れる

攻殻機動隊のクゼヒデオの言葉です。

目の前の苦難や面倒ごとから逃れるために人の心は低きに流れるようになっています。それを嘆いたクゼの言葉なわけです。

一方孟子はこういっています。

水の低きに就くが如し

これは、水が低いところに向かって流れることは仕方のないことで、自然の成り行きは止めようがないというような意味らしいです。


ぼくは思います。


低きに流れることを止めることこそが、信念や努力なのではないかと。

人間生まれてから、死ぬまで。食って寝て息しているだけで、生命活動を維持するだけです。にもかかわらず文明を作ったり、小さなところだとスキルアップに励んだり、筋トレしたり、勉強したり、うんぬんかんぬん

もちろんそうすることでおこる苦労やアンカンファタブルな状況があると思います。

にもかかわらず、そうするのだから、やはり信念というある種論理的ならざるものが存在しているからこそだと思います。


経験上思うのは、低きに流れだすと、とどまることがなくなるということ。思考のクセとして身に付けば、もうどうしようもすることができないと思います。


だからこそ、本質的に考えるクセを持っておかないといけない。その上で、切り捨てたり、効率化したり、捨てたり


単純に流れるのではなく、判断をすればいい

苦行な苦難とわかっていても、その先に進んだあと

進まずとも少し歩いてみたあとで、そこで判断すればいい


歩くことすら拒むのは、もう人じゃない


そう思いました。

そう思ったのは別に約束のネバーランドの最終巻を読み終わったからというわけじゃないけどね。

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