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渾身の作品だからこそ見せたくない気持ちの裏側とは

色々noteにしたためていると、これは素晴らしい!自分の中では完璧!\(^o^)/という作品が生まれてきます。

しかしそういう作品に限って、出したくないのです。

なぜそう思うのか、考察してみようと思います。


人の評価を全体の評価と捉えてしまうから

ありのままの自分を認める力である、自己受容感が低い人は、自分の評価を低くしがちです。

その原因は、自分に自信がないから。

とかく私もその一人。

だから公開して他人の評価が下ることで、それまで持っていた自分なりの評価が消えてしまい、他人の評価=作品の評価になるからだと思います。

自信を持っているからこそ、星もいいねもない。評価が何もないと愕然としますし、自分自身のあり方すら疑うようになります。

ブログ等いくつか投稿した作品にも、そういった意味を持ったものがありましたので、かなりショックを受けたりしました。

自分を守りたいから出せない。というところでしょうか。


同じ境遇の人に分かってもらいたいから

そんな心境を表した場面がありました。

私の好きなマンガである「神戸在住」は、美大生の主人公の日常を描いたものですが、その中に英文科の親友たちから描いた作品見せて!とせがまれたときは必死に抵抗するのに、同じ美術学科の友達には気兼ねなく見せ合える場面があります。

ふと、(あ、これに似てるな)、と思いました。

同じ境遇、同じ価値観、同じ思い、同じ経験がある人になら提供できるけど、違う考えの人には出せない…

そういうことじゃないかと思ったんです。

とかくこういった心理に関する内容は、一人一人の経験や思いがとても深く、内容も重くなります。

読むと、胸が詰まる思いもします。

辛くても、伝えたい!

その思いで貴重な時間を使って書いているんですよね。
もちろん私もそうですが。

そう考えると、書いている皆さんに対する畏敬の念は必要だなと思いますし、真摯な気持ちで読もうと思う訳です。


無理に公開する必要もないんじゃない?

さて、自信がなくて公表できないなら、いっそのこと公開しないのも一つの手です。

だって、そこまでして公開する義理など、どこにあるんでしょうか?

それこそ、変な自分ルールです。

自分が満足してるなら、それでいい。
公開しないのも選択肢ですし、それこそ今は公開したくないというのもあります。

よく思うのは「直感を信じる」力。

直感って、結構侮れません。
それに従って動いてみると意外な結果が出たりしますし、それでダメでも傷は少なくて済みます。

特に傷つきやすい気分の時は自分とよく相談して、なるべく自分を守るようにしてみると良いかと思います。


つい気持ちが強すぎると、一つ一つの投稿への意味づけが強くなって、その後の反動がきつくなりますから、SNSは「ま、いいか」のゆるーい気持ちでやっていきましょう!

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