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本当のことを書くって怖い? / #自分にとって大切なこと
ここnoteで約2年間書いてきた。
最初はドキドキしながら公開ボタンを押したものだ。
「こんなもの、誰か読んでくれるだろうか…」
読んでもらえなくてもそれはそれで。自分のその時の気持ちや考えていることやこれまで生きてきて得た自分なりの哲学を自分の言葉でアウトプットできればそれでいいと思っていた。
ひとつ、またひとつとスキがつく度に嬉しくて「今度は何を書こうか」と思考を巡らせる。
書きたいことはいくらでも出てきた。主に最初はエッセイばかり書いていた。
今から振り返ってみると、2年間のうちの最初の1年は『 吐き出し自己セラピー期間 』と言える。
相当溜まりに溜まっていた。よくぞここまで溜めましたと言えるぐらいのドロドロ感。
いや、別にそんな黒い言葉を並べていたわけではない。恨みつらみを綴っていたわけでもない。でも自分のそれまでの人生で経験してきた、人に言えなかった事実や感情を誰かに聴いて欲しかったのかもしれない。
だから実名は出さないと決めた。本当のことを書きたかったから。
『実名も出さないで信用できるわけがない』という声は常にあることは知っている。でも、実名を出すことによって計算したり取り繕わなければいけないことの方が多い人間もいるのだよ。それは『守らなければいけない人』がいるから。
人にはそれぞれ事情がある。ある人にとっては全く問題ないことでも、違う人にとっては生活を脅かす恐れがあるということ。
1年間、吐くだけ吐いたらまるで雲が晴れるかのようにスッキリした。
運気のサイクルというか、生きていく道中での岐路というか、精神のステージというか。それが何かをハッキリと言語化するのはとても難しいが、『 あ、私の生きる場所が変わったな 』という瞬間があった。
仕事や住む場所など、生活自体が変わったわけではないのだけれど、精神の置き所というか視点というか、それまでとは全く違った心持ちになったのだ。
それまでは何か問題を抱えてしまったら一日中、ひどい時は何日も悶々と考え続けていたり気に病んで心が揺れ動いたりしていたことに、全くと言っていいほど動じなくなった。「クヨクヨしても仕方ない」と思うことは以前も同じだったが、そうと分かっていてもそのことに囚われて心が縛られていたのだ。それが嘘のように素早く手放せるようになった。自分でも驚くほどに。この変化は何なんだろう、とよく考える。
『思考癖』は誰にでもある。それは自分では意識していなかったりするから余計に直せない。間違っているわけではないにしても、その考え方の癖によって自分自身が苦しんでいたとしたら、そこから自分を助け出すのは自分しかいないのだ。
その癖を「直したい」とか「変えたい」と思うかどうか。そこからがスタートなのでまずはそのスタートラインに立つことが大切なのだろう。
いや、私はこの思考のままでいい、と言われれば話は終わる。自分の思考癖を分かっていて、それによって苦しいことも承知の上でそれでいいと思えるならば一生苦しいままで生きていってくださいと言わざるを得ない。
私の場合は変わりたい気持ちの方が大きかった。もっと自由になりたかった。
周りの人間の思考に振り回される縛りやあらゆる外的要因からの解放を求めた。
そうしないと自分の人生を生きられないと思って決心した。
まず、『人からどう見られているか』を考えないことにした。これはとても難しいが非常に重要だ。他人からどのように見られたいか・・・。優しい人?仕事がデキる人?人気がある人?頭のいい人?リッチな人?上品な人?友達が多い人?センスがいい人?
欲望はどんどん広がって積み重なって、自分をがんじがらめにする。身動きが取れなくなっていることに気が付かないで苦しんでいるのは自分一人だということを誰も教えてはくれない。
それまでの思考を捨てて、他人からどう思われているかを考えなくなって言動が変わると、最初は周りの人たちが『え?』という反応を示した。その時がチャンスだ。そこで以前の思考に戻ってしまったら『 悪く思われたくない 』という考えに囚われて本意ではない言葉や態度をとってしまい、後で物凄い自己嫌悪に陥ってしまう。
『 これからはこれで行きます。どうぞよろしく 』と思えたら成功だ。
それはそれは清々しいこと。パアっと目の前の霧が晴れるが如く、新しい道が開けるのが見えた。
自分の我を通すこととは違う。間違ったことをスルーしない、穏便に収めようと余計な気を遣わない、自分さえ我慢すれば事は上手くいくといった思考癖を捨てて、思ったことを口にすることでどんどんクリアになっていく世界観。
すると周りにはより一層自分を引き上げてくれる人たちに囲まれてることに気づいた。思考の共鳴だ。その人達と対話することによって思考を循環させると、より一層自分の理想とする世界観に行くことができる。目の前が開けるような素晴らしい幸福感。心が浮き立つような高揚感。この世界で生きていこうと思える幸せは今まで味わったことがなかった。
もちろんそれまでの人間関係が切れたわけではないから、嫌な言動をする人とも関わっていることに変わりはないのだけれど、以前のように振り回されたり落ち込んだり、嫌な気分を引きずるということがなくなった。それはそれは面白いほどに。
視点を変えて生きる。それが俗にいう『 生きるステージが変わった 』ということなのだと実感した。
何も自分が偉くなったわけじゃない。何かに感化されたりある思想に傾倒するといったことでもない。ただ、自分の中だけの変化。思考癖の変化、視点の変化。
誰も好んで嫌われ者になりたいとは思わないだろう。けれどそもそも、『 嫌われる 』という思考に至る原因を考えると、相手と違う意見をもつことを相手に示すことに対して自分が怖がっているだけなのだ。
それは議論や対話を避けて、『 受け入れてほしい 』ということだけに執着しているからだ。自分の考えを無視して、無かったことにしている。それは自分という存在を蔑ろにしていることになるのに。
争いや阻害されることを避けて、穏便に安全に生きるために自分の思考を蔑ろにしていることに気付かぬふりをしている。そのことに嫌気がさした。もっと自分の人生を堂々と歩きたい。ぶつかってもいい、嫌われてもいい、縁を切られたっていいじゃない。そう思ったらとても楽になった。
ここnoteでも、本当のことを書くには勇気がいる。嫌われたら、フォロワーが減ったら、スキの数が少なかったら、変な人と思われたら・・・。
取り繕って素敵な言葉を並べても、それが本心ではなかったら人の心には刺さらない。別に刺さらなくったていいと思うならそれはそれで。綺麗な言葉を並べて自分に酔っていればいい。それが目的なら、何も言いますまい。
私は気持ちいいですよ。どんな言葉だってここに書くことは私の本心です。そうやって自分を上げていきます。そうしてその場所で出逢った人たちと繋がって言葉を交わし合うことによって得られたあたらしい世界は、とっても気持ちのいいところでしたよ。
自分の人生を生きるということがようやく腑に落ちて、それを謳歌している今日この頃。そんな今現在の本当の言葉をここに残しておきます。
#とは #生きる #執着 #恐れ #幸福 #人生 #対話 #真実