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知りたいんです

さもです、こんにちは。昨日に引き続き今日も職場の休館日の関係で休みです。明日が怖いけど、明日になったら考えることにして今日も記事を書きます。

 友達と「会って」カフェとかでのんびり「話す」のが本当に好きな私は、自分から声をかけることが多いです。で、当日会ったら美味しいご飯や飲み物やスイーツを楽しみながら「話す」ことに多くの時間を費やします。そこで相手の近況を知りたいのはもちろんですが、どんな仕事をしていて、それについてどう思っているか、何が大変、とか何が好き、とかそういうのが知りたくて質問しまくります。…相手によっては、私が愚痴だったり最近のことを話したりして一方的になってしまうこともありますが…出来る限り自重しています。
 
 何故かというと、相手は私とは全く違う「個人」であり、いち「社会人」であり、私が知らないだけで誰かの「彼女」かもしれないなと思うと、同じものを見ても見え方が違うでしょうし、考え方や経験も全く違うから、そういうものを知りたくて、吸収したくて話すんだろうなと思いました。私と私を取り巻く物事は、あまりにもちっぽけで限られているなというのを今更になって気が付いたこともひとつ理由にあるかもしれません。

 それらのことを知って、自分に取り入れたり、友達のように頑張ろう!!と毎回なるわけでもないので…あれ?という感じもありますが(笑)何かを「知る」ことって基本的には悪いことではないのではないか?と最近思うようにもなりまして。知ることによって新たにわからないことが出てきたり、それに対して自分がどう感じるかとか色々次のことへ目を向けられるようにもなりますし。この頃、ぐるぐるとそういったことを考えながら日々を過ごしています。

ちょっと話が変わりますが。
「知りたがり屋の病気」なる描写が、昔読んだ児童書「エルマーとりゅう」という本に確か出てきたんですよね。要は、宝箱に、なにか入っているという言い伝えがあるけど、確かめようがなくて気になりすぎて、それが元で死んでしまう人(死んでしまうカナリヤだったかな?ごめんなさい、覚えていません…)が出ているという島がある。そこに、エルマーと、どうぶつ島から助け出して一緒に移動したりゅうがたどりついて物語が動き出す…そんな本だったと思いますが。

知識欲というのは誰だってあるものですよね。で、児童書ならでは?の設定?で「知りたがりやの病気」となって出てきて。…着地点が定まらないですが、現実に病気になるほどではないにしろ、それはあって当然で。むしろ知る事によって欲が満たされるというか、喜びを感じるというか。そういう感覚的なところに行き着くのかな?と書きながら思いました。

そういう感覚が、得られるのがやっぱり本を読むことだったり、レポートや論文の発表会だったり、友達の話を聴くことだったりするところから来ているのかなと。今どきの学生さんとかは時間あると見せかけて私が学生だった頃よりずっと忙しいだろうから、なかなか難しいのかもしれませんが。…「遊んでおけ」とか「海外旅行へ行け」とか「OBOG訪問しろ」とかって、そういうところからの助言なのかなと思った月曜日なのでした。

謎に1200字以上書いてしまった。おつき合いいただいた方、ありがとうございました!

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