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怖くても、キャッチボールできるか

難しいな、と、思う。


書いていた記事があったけれど
途中で「これでいいのか」となって
いまこうして、その時の想いも含めて、ゼロから書いている。

やっぱり自分の課題として
「誰かの意見が飛んできた時、それに強い恐怖感を覚えてしまう」

と、いうこと。

他者の意見をフラットに受け止めるのが難しくて
恐怖感を感じるあまり
「自分の意見がダメだと思い込んでしまう」
「自分の意見を強く投げ返してしまう」

そんな風に思ってしまい
途端に、熱量が失われてしまう。

そこまで、あらゆる角度から「意味」を創り
その「モノ」をカタチにしていった上で、提案する。

自分の中でかなりの情報量を言語化し
その「モノ」をカタチにしているので
そこには相当な熱量が生まれていて。

自信はあるハズなのに、別の案が飛んできた途端に
一瞬で熱量が失われてしまう。

他者からの意見が、否定的なものでなく
肯定的な意見でのブラッシュアップができれば
それなりに気持ちは保てるけれど

「別案はどうでしょう」という言葉は
僕にとっては「さっきのはダメだから」に等しい。

もちろん、そう伝えた側はそんなつもりは無いのだろう。

これは、あくまでも、やっぱり受け取る側の
自分の受け取り方の問題なのだ。


自分を保てているときは、卑下せずに意見を受け止め
しっかりと昇華して投げ返せる。

ただ、微妙なとき、または、保てていないときは
あっという間に、その熱量は冷めてしまう。


誰が、どう、とかではなく
これはあくまで、自分の課題。


あと、思うのは、
やっぱり文面だけでは、伝わりづらい。

文面だけだと、なおさら、そういう卑下的な思考に陥りやすい。

やっぱり、最低でも音声、あるいはオンライン
そして理想は対面で、しっかり面と向かって話をしていく。

そうでないと、必ずどこかで方向性にズレが生じる。

と、僕は、思う。


ニュアンスを繊細に感じるのは
それだけクオリティもきめ細やかになる。

決して、悪いだけのことではない。
と、言い聞かせている。

数年経ったとはいえ、まだまだ対面を避ける場面は多い。

けれど、やっぱり、それは「必要に応じて」が一番だと思う。
そこを察すること、理解して進めることも、センスのひとつ。

と、そこまで思考をめぐらせられるかどうかも
微妙なクオリティの差に表れるのかもしれない。

「考え過ぎだ」と言われるかもしれないが
それくらいに創造力を、想像力を働かせて
一緒に何かを創っていく人たちとは、やっていきたいと思う。

そういう "覚悟" があるから
怖いのかもしれない。

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