戦争と方言
昭和28年の東映作品、今井正監督「ひめゆりの塔」を見ました。
今井正は共産党員でレッドパージに遭いかける監督で、同じ昭和28年でも大映だと10代の性典を撮っていたわけで、民度がかなり違います。
ひめゆりの塔はご存知でしょうが、沖縄にあります。
この映画が撮影された時の沖縄はアメリカ世で現地ロケはできず、セットと千葉の海岸を沖縄に見立てて撮影したそうです。
見始めてまず違和感があったのは、登場人物が全員ナイチヤームニー(内地の話し方)なんです。
まったく方言が出ないしアクセントもナイチヤーみたい。
そりゃそうなんですよ。
この時代の演出に沖縄の言葉を求めても無理と思うんです。
わざわざパスポートを取って沖縄に渡航できる人は少ないですから、沖縄の言葉なんかわかるはずがありません。
とは言えしにがーたーしているオバアまで「最後のお願いです」みたいな言葉使いは不自然です。
極限状態て自分たちのネイティブ言語が出ないのは違和感があります。
あまりに違和感を感じたので戦時中の方言事情を調べてみたら解説してあるサイトを見つけました。
結果から言うと、沖縄では戦争中、「標準語推進運動」があって人民はみんなナイチヤームニーをしていたそうです。
「方言札」と言うアメリカの小学校の「バカ帽子」的なものは戦後だと思うんですけれど、戦地での軍民両方のコンセンサスを取るには標準語一択だったんでしょう。
当時の日本の植民地でも日本語教育が進められていましたが、当然標準語ですね。
いちいち方言を覚えたり教えたりしていたら収集がつきません。
また、これは意外だったんですが、第二次世界大戦が沖縄民が初めて日本人と同化した時期なんだそうで、戦争があったとは言え日本人のナショナリズムを共有できた歴史上初めての時期なんだそうです。
うちなーむにーで自由にアビアビーできるのも平和あってのことです。
沖縄の言葉がいつまでも侵害されることがないような世の中を願います。
今井正は当時の人気監督ですから、予算が潤沢にあったんでしょうね。
とにかくエキストラの数が多い。
CGのない時代にしては爆弾類も多く、かなり大掛かりな映画ですね。かえるちゃんは戦争映画を見ないようにしているのであまりこのジャンルには詳しくないんですけれど、アンジェイワイダの「地下水道」なんかはこの映画に較べると相当の低予算映画です。
予算がなくてもアンジェイワイダは戦争の無慈悲さを良く描いていました。
ひめゆりの塔は撮影が終わったら出演者みんな衣装を脱いで化粧を落として帰宅するんだろうなと言うのが透けて見えて興醒めでした。
糸満市にあるひめゆりの塔には一度行ったことがありますが、女学生たちの遺品が展示してあって、裁縫箱の中にこれは多分後の時代に追加されたんだと思いますが、中原淳一の少女画がついたメモ帳が入っていたのが印象的でした。
戦時中であっても少女の心は美しいものを求めているんだと強く感じました。