シュガーロード
かえるちゃんは今年、沖縄移住して36年目なんですけど、移住した時片道分の飛行機代しかなかったんです。
あの頃は札幌から沖縄までの飛行機代が片道99,000円だったんです。
沖縄に着いたは良いけどおさいふの中はスカンピンで即時住み込みの仕事を探すことになったんです。
「パイナップル農園でバイトするよ」とか札幌では言ってたんですけど、実際パイナップル農園なんてやんばるまで行かないとない雰囲気で、やんばるまでの交通費もなかったはず。
とにかく住み込みのバイトを探したら、友だちと一緒の応募もOKって書かれた求人があったんです。
少し話はズレますが、当時はアルバイト北海道みたいな求人誌が150円でしたが、沖縄ではスーパーの入り口に無料で置いてあったんです。
沖縄の失業率はいつでも全国一ですから、求人誌を無料にして少しでも働いてもらおうってことかな?と思いました。
友人と面接に行ったら担当の人が少し申し訳なさそうな顔をして、「お仕事は石垣島のすぐ近くの島なんですよ、すぐ近くの」と言いました。
かえるちゃんはその時島チャビと言う離島の生活の苦難さを知らなくて、更に石垣島と言うのもかえるちゃんの地図になくて「石垣島?石垣イチゴが食べ放題?」と解釈して即座に行きます!とお答えしたんです。
それでたどり着いたのが石垣島から高速船で片道40分ほどの小浜島でした。
島内のリゾートホテルの掃除のバイトなんです。
3ヶ月契約のリゾバですね。
今は港や集落に飲食店が何軒かあるみたいなんですが、かえるちゃんが住んでいた頃は完全自炊で、友人が料理できない子だったから、朝ごはんお弁当、夕飯全部かえるちゃんが作っていました。
島には共同売店があって、冷凍肉やビールまでは買えるんですけど、魚や野菜は島の人たちは自分たちで取ったり作ったりなんです。
パンも共同売店にあるっちゃあるんですけど、よく見ないとカビてるんですよ。
「焼けば平気さ」とか言われちゃうんですよね。
トマトやヨーグルトみたいな若い女性が食べたがる食材は小浜島では手に入らないので、同じバイトをしていた人たちがほぼ毎日、月一で会社から船代が出るので石垣島に行ってたのでお買い物を頼みましたし頼まれました。
テレビはNHKしか放送がなくて、小浜島には信号機もなかったです。
小学生は石垣島で信号機を渡る練習をしていました。
そもそも信号機がなくても問題はまったくないんです。
バスとかワゴン車みたいな大勢の人を運べる車が数台ある程度だったんです。
吉幾三が「オラこんな村やだー」とか歌ってましたが、その世界観とかなり近い生活でした。
かえるちゃんたちは寮生活をしましたが、建物には冷房がなくて、その代わりとはならないんですがカナブンが羽音逞しくグルグルと24時間飛んでいました。
かえるちゃんたちは朝8時15分に寮の前で集合して、迎えの車に乗って仕事場のリゾートホテルに向かうんです。
途中、シュガーロードと呼ばれている見晴らしの良い一本道がありました。
これはサトウキビ畑の真ん中にある広い道で、サトウキビの運搬用の道路だったようです。
朝はシュガーロードに差し掛かると「仕事に行きたくない」とブルーな気持ちになるんです。
ちょうどホテルの稼働がトップシーズンに働いていたので、朝8時過ぎに寮を出てから20時過ぎまで帰れなかったんです。
夜のシュガーロードから戻る時、やっと1日が終わったと安堵しました。