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星新一のエッセイ『きまぐれ星のメモ 』

星新一のエッセイが面白い。

びっくりしたのが「家を改装するにあたり、鴨居を高くしてもらった。179センチという長身の私の頭がぶつからないですむ」という話で、大正生まれで179センチって星新一デッッカ!!!

背が高すぎて鴨居にぶつかりそうになる人、実在したのか。そして、なんとなくショートショートの名手は小柄なイメージでいた。そもそも文筆家というものは、乾燥した櫛の通りにくい髪にやや曲がった背中あるいは眼鏡で中肉中背もしくは小柄というイメージを勝手に抱いていたんだなぁと思ったり。

しかし、デカいな星新一。

「若い人びとの身長が急激に伸びているのに、新しい住居でもカモイが低いという現象は理解に苦しむ」とあったが、令和を生きるのに身長160センチに合わせてつくられたキッチンが高くて不便な私からすると羨ましい限りである。

それにしても、星新一のエッセイは、なんかいい。

割とたわいもないことを書いているのだが、なんとなくいい。とてつもなく面白いというほどではないが、気づいたらするすると読み進めてしまう。

水のようなエッセイだ。
それもちょっとこう、ハイキングで汗をかいて足も疲れてきた頃に飲む湧水みたいな美味さがある。

星新一のエッセイを読んでいると、そうだ、こんなふうに「今日こんなことがありました」と肩肘張らず普通のことを普通に書けば良いのだ、という気になってくる。

おそらく彼の、平易で、わかりやすく、簡潔な言葉選びの魔法により、そんな気がしてきてしまうのだろう。

わかっている。
なんてことない出来事を面白く書け、読ませてしまうのが作家の作家たるゆえんであり、星新一ではないただの一般人がそれをやったところで、なかなか面白くはならない。そうそう読んでもらえるものでもない。

だが、そこで踏み留まらずに書いて、恥知らずにも公開してしまうのが物書きというものだ。

職業作家ではないがなぜか物を書いてしまう性分である私は、恥ずかしげもなく書きちらしていこうじゃないか!なんていう気になった。

三連休を前にして、疲れすぎてテンションがおかしくなっているだけかもしれない。

締切りが迫ると、一つの発想を得るためだけに、八時間ほど書斎にとじこもる。無から有をうみだすインスピレーションなど、そうつごうよく簡単にわいてくるわけがない。メモの山をひっかきまわし、腕組みして歩きまわり、溜息をつき、無為に過ぎてゆく時間を気にし、焼き直しの誘惑と戦い、思いつきをいくつかメモし、そのいずれにも不満を感じ、コーヒーを飲み、自己の才能がつきたらしいと絶望し、目薬をさし、石けんで手を洗い、またメモを読みかえす。 
「創作の経路」より

星新一のエッセイ、おすすめである。

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