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曲の歌詞みたいな綺麗なものを信じてみようと思った
今日、私は荒んでいた。
子どもがお掃除ロボットのスイッチを連打して動き出してはポートに戻るを繰り返しているし、夫のパソコンはなぜかピーピーいっている。
夜勤明けの夫が帰る前に家事を済ませてしまおう。そう頑張った結果、自分が朝食を食べるタイミングを逃し続けてしまった。
それどころか顔も洗っていない。
挙句台風まで近づいている。
まったくなんて日曜日!
そう、私は荒んでいた。
夜勤に伴うワンオペにはもうとっくに慣れているはずなのに、たまにこういう日がくる。
そして気をつけないと、夫に当たってしまい後悔することになる。
大抵、この嫌な予感はあたる。
ご飯を食べれば、けろっと治ったりするのだけれど。
◇ ◇ ◇
頼みの綱のご飯は、結局食べられないまま昼を迎えた。
思いのほか雨の降り出しが遅かったので、帰宅した夫と子どもを連れて外に食べに出ることにした。
居酒屋ランチで、私は焼き魚定食、夫はまぐろ丼。
居酒屋だけれど、店内は明るく落ち着いていて、タバコの煙もなく快適。
お店を選んだのは夫だけれど、レンチンの揚げ物やお手軽料理ばかりで魚が食べたくてしょうがなかったので、ちょうど良かった。
その居酒屋で、ふと耳に入ってきた曲が、とても美しかった。
旋律も、声も、歌詞も、響きもなにもかも。
知らない曲だった。
美しい、と思ったのに歌詞も厳密には思い出せない。
確か、愛があるから強くなれる、というような歌詞だった。
こう書くと身も蓋もないけれど、曲の歌詞はもっと美しくて、すっと体に入り、そうかもしれないと思わせる力があった。
その後に流れた郷ひろみの「GOLDFINGER」もV6の「MUSIC FOR THE PEOPLE」もやたら好意的に耳に響いた。
曲の歌詞みたいな綺麗なもの、元気さ、エネルギーを、信じてみてもいいかもしれない。
急にそう思ったのは、及川眠子さんの「ネコの手も貸したい」を読んでいるからかもしれない。
作詞をする予定はないけれど、言葉の選び方、創作技術等、とても参考になる。
それから、あまりにも現実に向き合い過ぎているのもあるのかも。
女は家庭を持つと現実に縛られる。
頭にあるのは、リビングの埃、子どものご飯、乾かない洗濯物、月末の家計簿締め。
夢や希望が頭をかすめる暇もない。
でもこの世には、創作かのような綺麗なものや、美しいもの、わくわくする感情があったはず。
そんな曲の歌詞のような綺麗なものを、信じてみようと急におもった。
なのに、気持ちがコントロールできなくて、やっぱり夫にやや当たってしまい、気を遣わせたことを反省している。
私と夫の間にも、奇跡みたいな感情があったはず。
明日はなるべく世界にやさしくしたい。
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