官能はどこに宿るのか。

ぞくぞくするほど官能的な贈り物のエピソードを読んだ。

塩野七生『男たちへ』の一節だ。

著者が男友達とギリシア旅行へ向かう途中、イタリア南端の港町で出国前最後の夕食をとっていたとき、隣のテーブルで一人食事をしていた男と話を交わした。
イタリア人のその男は、ミラノの会社に勤めていて、製品を南イタリアの各地に売り歩くセールスマン。そして、商売に使った残り物を、「こちらのシニョリーナに差しあげてよいか」と連れの男性に断ってから、プレゼントしたのである。

シンプルな造りの銀の腕輪と、純絹ではあっても、どこでも売っていそうなスカーフだった。(略)ただ、その男は、連れのいる女にものを贈る時は、連れの男の許可をまず得るという礼儀を知っていたが、また、女にものを贈る時の贈り方なるものを知っている男であったらしい。
手から手へ渡すなんていう、つまらぬまねはしなかった。腕輪は私の腕に彼の手ではめられ、スカーフも同じく彼の手によって、ふわりと私の首に巻かれたからだ。
その時の腕輪は、その後まもなく失くしてしまったし、スカーフは、今では西部劇ゴッコをする息子が首に巻いて遊んでいる。しかし、腕輪が手首に冷たくふれ、スカーフがやわらかく首に巻きついた瞬間に感じた、春風にも似た優しく官能的な快感は、二十年後の今でも、昨日の出来事のようにはっきりと思い出す。

あぁ、いいなぁ。

誰かの手によって、刺激される感覚。
直接触れられるのではなくて、贈り物を介して、届けられる刺激。

もの自体はなんてことはなくても、贈り方ひとつでこんなにも甘美な思い出になるとは。

こんな世界知らなかったなぁ。

細い銀の腕輪が軽やかにひんやりと触れる感覚も良いし、幅のある腕輪のほんの少しの重みから伝わる冷たさであってもいいだろう。

スカーフを私の首に巻くしぐさは、いたって自然で、けれども私を尊重してくれるような、丁寧な動きが良い。
もし相手が初心な青年だったら、緊張でかすかに手が震えていてもいいだろう。
くすぐられるような絹のやわらかさにそっと肌を粟立たせたい。

なんて、想像を繰り広げてしまった。
その後に描かれる映画監督ルキーノ・ヴィスコンティの主演男優への贈り物のエピソードは、さらに官能的でぞくぞくするものだった。

イタリアの男性は、本能で、あるいはどこからか、官能的なふるまいというものを身につけるのだろうか。
そういえば、映画で、ドラマで、男たちが女へ素肌に身につけるものを、手ずからつけてやっている姿を何度か見たことがある気がする。それは、悪い男であったり、恋する男であったりしたような。今まで全く意識していなかった。
だからこれを読んだとき、驚きの別世界が広がっているようで、くらくらしてしまった。

私のお腹の中の子は、男の子だそうだ。

私は恋愛が得意ではないので、恋愛におけるスマートな振る舞いや、相手を気持ちよくさせる方法、まして上記のような官能的なやりとりを、子どもに伝授できる気がさらさら、微塵も、全くしない。

ただ、本の中に、物語の中に、映画の中に、あらゆる豊かな世界が広がっていることを伝えることは、できそうだ。

私にできないことは全宇宙におまかせして、自分の没頭する何かから多様なものを得ていける子になってくれたら良いなと思う。

まずは、無事に息子と対面できることを祈りながら。

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