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命の自己決定権

現在刑法では自殺幇助罪が定められていたり(刑法202条前段)、安楽死や尊厳死は極めて厳格な要件の下認められるとされているにすぎない(事実上不可能だと思う)。

すなわち現行法は自殺する権利を積極的には認めていない。

今回はそんな自殺する権利について検討してみたい。

自殺は悪か

まずその前提として、自殺する事は悪か、という事について考えてみたい。

以前noteでも書いたかもしれないが、私は決して自殺を他人に勧めないが、正直自殺志願者を積極的に止めるべきだとは思わない

すなわち、必ずしも悪とは言い切れないと考えている。

その理由を一言で言えば、自分の命なんだから本人の好きにさせるべきだから。

自分の所有物を好きに扱え、自由に処分できるように(民法206条)、命も同様に考えるべきだと思うからだ。

物と命を同じように考えるべきではない、と言われそうだ。

だが、そのように考える合理的根拠は何だろうか?

倫理的に~とか、道義的に~とか言われるのだろうが、それを言い出したら議論が終わらない。

それってあなたの感想ですよね?状態になってしまう。

あくまで個人の価値観の域を出ない。

なので、自分の命も自由に処分=自殺できると考えるべきである。

もっとも、この考え方も私の価値観の域を出ない訳だが。

そういう訳で、自殺は必ずしも悪ではないと考える。

自殺する権利

では、自殺する権利は認められるか。

私の上述のような立場からすれば、認められる(という結論を導き出す必要がある)。

その具体的な根拠の一つとしては、憲法13条後段だ。

以前のnoteでも書いた通り、憲法13条後段の解釈にあたっては、一般的自由説と人格的利益説という考え方がある。

一般的自由説に立てば当然に自殺する権利は13条後段によって保障されると考える事ができる。

また、人格的利益説によっても、人類にとって命は最も尊重されなければならない利益であるから、自殺する自由は人格的利益と言え、自殺する権利は13条後段によって保障されると考える事ができる。

そんなこんなで私は、自殺する権利は憲法13条後段によって保障される、と考える。

おわりに

ここまでズラズラと書いてきたが、要するに、国は自殺する権利を積極的に認めるべき、というのが私の主張だ。

ただ、おそらく読者の皆さんはおわかりの通り、注意点もいくつかある。

まず、自殺が認められるとすると、自殺に偽装した殺人なんかが増えてくるリスクがある。

こればっかりは、警察等の捜査機関や法医学者の方々に頑張っていただくしか無さそうだが、法医学者は全国で150人しかいないらしいし、やはり困難が伴うだろう。

次に、自殺志願者の中には、本心から自殺を望んでいる訳ではない者がいるということ。

自殺志願者の多くは身体、精神疾患を患っていたりして、現実の苦痛に耐えられなくて死を選ぼうとする者もいるだろう。

そうした者達が本心から望むのは、苦痛の除去であり、自殺そのものではないと思う。

このような感じで問題山積みで完璧な解決策も見出だせないような話だが、ぜひ政府や国民に議論してもらいたいと思う次第である。

(参考までに過去記事です。)


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