賢明な浮気は存在するか
1.はじめに(注意事項)
本記事は浮気や不倫、二股といった類いのものを無条件に推奨するものではない。
したがって、仮に本記事を読んでそういった行為をし、何らかの責任を追及されたとしても、筆者は一切の責任を負わない。
それでは以下本文どうぞ。
2.浮気や不倫、二股は全て『許されざる』ものなのか?
読者の皆さんは、浮気や不倫、二股といった類いのもの(以下「浮気等」という)についてどのような印象を持っているだろうか。
おそらく多くの読者の人が、こうしたものを『許されざる』行為と考えるのではないだろうか。
このことは、浮気等を行った有名人を袋叩きにする報道とそれを後押しする大衆、法律といった国の制度(例えば重婚を禁ずる刑法184条、民法732条等)等からしても理解できよう。
たしかに現在の日本社会において浮気等をする事は『悪い事』『賢明とは言えない事』だと、私も基本的には思う。
なぜなら、浮気等をする事によるメリットよりもデメリットの方が大きいと考えられる場合がほとんどであるからだ。
例えば(私は浮気等をした事もしようと思った事も無いので想像に過ぎないのだが)、浮気等をする事によるメリットとしては、ストレスの発散や性欲の処理、欲求不満の解消といった個人的なものにとどまるであろう。
しかし一方、デメリットとしては、パートナーや周囲の人が裏切られたと感じて傷付く、そうした人々からの信頼を本人は失う、場合によっては何らかの法的責任を負う、子供ができた場合の子の処遇といった、本人のみにとどまらない大勢の人々への損害が生じうる。
こんなもの、コスパが悪すぎるであろう。
やらない方が賢明だ。
しかし裏を返せば、デメリットの無い、あるいはメリットがデメリットを上回る場合は浮気等をしても良いと思うのである。
言うならば『許されるべき浮気等』である。
このような場合の浮気等への規制は必要最低限の規制とはいえない。
やりすぎで不当な規制だ。
(参考までに。)
以下、もう少し細かく検討したい。
3.私の提案
ここで私は許されるべき浮気等の一つのモデルとして、当事者及びそれに準ずる重要な利益を有する者らの合意に基づく契約型の浮気等を提案してみたい。
(もっとも、これを浮気等と呼ぶ事がもはや妥当なのかどうかわからないが。)
ここでの「当事者」とは、パートナーと浮気等をする本人、浮気等の相手の事である。
これらの者が浮気等について合意する事で、信頼を裏切られた!等と言って傷付く事は無くなる。
次に、「当事者に準ずる重要な利益を有する者」について。
これらの者の合意を要求する趣旨が、これらの者の信頼保護、損害発生の防止にある事に鑑み、「重要な利益を有する」といえるか否かは、想定される信頼や損害の有無、程度を当事者との関係性等の諸般の事情を総合考慮して判断するべきだ。
例えば、当事者の両親や子供等はこれに当たる場合が多いであろう。
さらに、浮気等の相手との間について生まれうる子供の処遇についても、子供をそもそも産むのか、産んだとして誰がどのように育てるのか等を事前に合意内容として取り決めておけば良い。
ただ、私のこの提案も、現在の日本社会では到底受け入れられないであろう。
なぜなら、前にも書いたが、浮気等を一律に『悪』と捉える人が大多数である以上、そもそも上述の「合意」が得られにくい。交渉を開始しようとした時点で拒絶される可能性も高いであろう。
また、仮に合意が得られ、契約が成立したとしても、公序良俗違反を理由に法律上無効として扱われる可能性も高い(民法90条)。
これらの問題を解決し得るのは、やはり『民意』である。
民意が浮気等の一律禁止という固定観念から離れ、こうした『許されるべき浮気等』について許容すれば、当事者らの合意形成の難易度も、法律上の扱いも変わってくると考える。
4.おわりに
私が今回提案した契約型の浮気等以外にも、『許されるべき浮気等』は想定できるかも知れない。
もしあればぜひコメントをお願いしたい。
妥当であれば認められるべきだ。
また、民意は所詮個人の意向の集合体である。
個人個人の意識が変わり、意向が変われば民意も自ずと変化する。
(浮気等に限られないが、)現在はコスパの悪い浮気等をしたいのであれば、コソコソせず、正々堂々、自らの考えで一人一人他者を説得して民意を変えたらどうか。
言論の自由は誰しも持っているのだから。
5.言い訳的なもの
ちなみに私は現在に至るまで、浮気等をした事もないし、したいと思った事もない。
それなのになぜ本記事を書いたか。
それは、シンプルに浮気等への規制が広すぎるのではないかという疑問が浮かんだからだ。
『自由』をベースに考える私にはこれが引っかかった。
(愛の形は様々だし、一夫一妻制にこだわる合理的理由もそこまで無いのではないか、とかも個人的には考えているが、これらについてはまた機会があれば書きます。長くなっちゃうので。)
そうは言っても、この記事の筆者を浮気性だと『決めつける』人もいるだろう。
そういう人には以下の質問をしたい。
男性は女性の人権を主張、擁護してはいけないのか?
LGBTではない人は、LGBTの人の人権を主張、擁護してはいけないのか?
答えは自明だろう。
ここまで読んでくれてありがとうございます。
コメント等あればよろしく頼みます。
(参考までにどうぞ。)