支配
支配―。
おそらく多くの人は他人に支配される事を嫌がるだろう。
私自身も嫌である。
この事は、民主主義を基調とする我が国の憲法、政治体制、国民意識からしても明らかであろう。
しかし、必ずしもそうとは言えないのではないか。
少し哲学的な話になってしまうが、支配されている事に気づかなければ、たとえ何者かの支配下にあったとしても、本人にとっては『自由』なのである。
また、支配されるにしても、その支配方法が適切であれば良いのではないか。
具体的には、たとえ独裁政治であっても、独裁者によって利益を受けている者は基本的にその政治体制を変革しようとは思わないだろう。
独裁者が国民の権利、人権を尊重して政治を行えば、誰も政治体制そのものの変革を訴えたりはしないだろう(その独裁者をクビにするように要求する人は出てくるだろうが、この主張は現在の民主政治の下でも頻繁になされる)。
それどころか独裁政治体制であれば、国の意思決定が迅速に行えるという利点もある。
一応言及しておくが、多数決や民主主義の下で必ずしも適切な意思決定がなされるとは限らない。
つまり、独裁をはじめとする『支配』にも一定の合理性があるのだ。
しかし、独裁者が暴走するととんでもない事になるというのは、皆さんも知るところであろう。
結局のところ、皆さんわかっている通り、支配(独裁政治など)と自由(民主政治など)は一長一短であり、どちらが優れている、劣っているという事はないのではないか。
難しい問題である。
まあ、人類の歴史上でも未だ答えが出ていないのであり、当然ではあるが。
敷衍すると、半ば陰謀論的な感じでAIによる人類への支配、なんて未来が予想されたりしているが、これも結局の所、そのAIの作成者意思が入ってしまう点において上述の独裁支配と同じであろう。
まとめになってしまうが、支配と自由のバランスをうまくとる必要がある。
政治家に限らず企業のトップ等、人を支配する立場にある者は、こうした事を心得た上で職務執行すべきである。
あと、あまり大きな声で言うべきではないが、支配される側に支配されているという意識を生じさせないようにすべきである。
皮肉的ではあるが、我々は支配されている事に気付かなければ、自由なのである。
…またつまらぬ記事を書いてしまった。
あまりまとまりのない記事で申し訳ない。
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