これが最後のキレイゴトです。 この50回のキレイゴトを投稿するにあたって、 賛否はもちろんあると思っていました。 もしかしたら否のほうが多かったのかな。 「ある日、突然、急に何か言い出した」 そんなところでしょう。 それはそれでいいのです。 僕が、ただ、思ったことを、感じたことを、 キレイゴトにして書いた。それだけ。 決して多くの人が読んでくれたとは思わない。 それでも、"いいね"をくれた人がいた。 昔からの友人や知人からの"いいね" 会ったこともない人か
狂っていく。 街も人も世界も狂っていく。 変わっていく。 街も人も世界も変わっていく。 悪いのはあの人じゃない。あの人でもない。 悪いのは突如現れたあいつだ。 アイツを消すためにあの人は考えた。 アイツを消すためにあの人は泣いた。 変わっていく。 街も人も世界も変わっていく。 あいつが消えた世界はもう、 誰も見たことがない世界。 こんなにも憎いアイツが世界を変える。 アイツが変えていく世界は アイツがいなかった世界より進んでいた。 みんなから嫌われる
感情があるから辛くなる。 感情があるから嫌になる。 感情が無ければ人は辛くも哀しくもならない。 だけど、 その感情が無ければ、 喜びや幸せも感じないんだ。 その感情が無ければ、 人を愛する気持ちすら存在しなくなる。 何とも歪で不完全なものだ。 誰が作ったかも分からないその「感情」は 喜怒哀楽それぞれを向かい合わせた。 時にその感情の曲線が 美しい瞬間を作り出す。 そこに正解は存在しない。 だから人の数だけの物語がある。 つまらない曲線を描いてもしょうが
このポエムもあと数回で終わろうと思う。 このポエムを書いていて、 誰かを救う言葉を探していて、 自分の軸とは違う「キレイゴト」で表現して、 思ったこと。 僕自身はキレイな世界が好きだ。 人を悪く言う自分は嫌いだ。 人を悪く言う会話を聞くのも嫌いだ。 もっとみんながキレイなことを考える、 誰も悪者にならない世の中なら、 悪い言葉がなくなるんじゃないかなって そう思った。 考えれば考えるほど。 探せば探すほど。 必ずしも誰かを救うのは、 キレイな人だけじ
閉鎖的な思考の先に可能性はないと考える。 やらずして、あれはダメだ。これはダメだ。と 可能性の扉を閉めていってしまっては、 ダメだと思った先に繋がっていたかもしれない 希望の道に辿り着かずして終わってしまう。 人の意見は半分に、 まずは思ったことを自分でやる。 その先に道が続いていないことを視認したら 扉を閉めていけばいい。 最終的に大きな選択をするのは自分自身。 その時に最もいい選択ができるかは、 良いも悪いも経験した知識が決め手になる。
求めてもいないことを押しつけることは 決して何かを与えていることではない。 本当は求めていないはずなのに、 あなたがあたかも求めているように 「説得」してくるような人は、 あなたのことを想ってはいない。 あなたのことを想っているようで 「自分は人に与えているんだ」 という自己欲求を満たしていたりもする。 当人は無自覚なことが多い。 紙一重。 肝心なのは自分が何を求めているかを 深く理解することだ。 己を知らず他を知ることはない。 贈り物は受け取る人に喜ばれ
他人があなたのどこを見てるかなんて分からない。 他人があなたのどこを好むかなんて分からない。 だから、どう見られるかなんて そんな大した問題じゃないんだよ。 「どう見られるか」よりも 「どんな自分でいるか」なんじゃないかな。 他人によく思われようと繕ったあなたは 本当のあなたではない。 良くも悪くも、 あなたがあなたのままでいて、 それでも隣にいる人が あなたの本当の理解者なんだ。
あなたが誰といるか。 あなたがどんな環境に身を置くか。 それはとても大事なこと。 マイナスなことばかり言う人の近くにいれば、 あなたもマイナスな考え方になりやすい。 雰囲気の悪い環境にいれば、 あなたの気持ちも上がりにくい。 自身の気持ちの持ち方も大切だけど、 周りから受ける影響はとても大きい。 毎日毎日、我慢ばかりの現状なら 思い切って変えてみるのも あなたを幸せにする1つの選択なんだ。
目の前の人の幸せが 何に起因するかなんて分からない。 でも、何もしなければ変化はない。 感情も変化によって効果が変わる。 哀しみから喜びに移り行く過程に 楽しいがあって幸せを感じるのかもしれない。 哀しみを背負う人に寄り添って その人を幸せにしてあげよう。 その人の笑顔を見たときに きっとあなたも幸せを感じる。
例えば、自分の少しの我慢で 大切な人の笑顔を見ることが出来るなら。 例えば、自分の少しの我慢で 大切な人に幸せな時間を与えられるなら。 自分の欲を満たす以上に 大切な人の幸せそうな笑顔を見るほうが 幸せで心が満たされる。 自分が何に幸せを感じるかを知ること。 大切な人を幸せにする努力は 自分を幸せにする努力なのかもね。
いっそ死んでしまいたい。 と、思うことはある。 いま死んでしまえばあらゆるものから 解放されてどんなに楽なんだろうと。 そんなときに考える。 死んで解放されることの数と 死んだら出来なくなることの数。 死んでリタイアするか。 死をもって終幕とするか。 死ぬことで完成する作品がひとつある。 それが『人生』だ。
自分の立ち位置を知るということは、 結果的に心の安定に繋がっていると思う。 理想の自分。それはあくまで理想なんだ。 いまの自分は理想までの道のどこにいるか。 理想と現状の区別がついていないと、 できない自分に苛立ってしまう。 上手くいかない現状に疲れてしまう。 現在地をはっきりと分かっていれば、 出来なくても、上手くいかなくても、 いまはまだこのぐらいの自分なんだと思える。 理想は常に見つつ、 理想という地点から 自分までの距離を理解しておく。 理想に追い
目や耳は感情に直結している。 心の持ちようも大事だけど、 見るものや聞くものを変えてみると、 また新しい感情に出会えるんじゃないかな。
知らないことを減らす努力は 人生の選択肢を増やす努力とも言える。 知識が豊富だということは 道を選ぶ権利を持っているということ。 行き詰まった時は知らないことを知るんだ。 きっと素敵な道が見えてくる。
嫌で疲れてどうしようもなくなったら、 一度立ち止まって溜め息でもついておこう。 ついて、ついて、ついて、つききって。 嫌なものは全部逃がして。 真っ新な空気と入れ換えて。 その空気は幸せの色になるといいね。
人は何かと感情的になりやすい。 けれども感情のみから出た行動は 後悔につながりやすかったりする。 だから、咀嚼がとても重要なんだ。 怒りの先に平和なんてない。 『怒り』と『愛』を間違えてはいけない。 愛のある怒りにはとことん応えよう。 感情任せの怒りとは向き合おう。 誰だって一番いい顔は笑顔なんだよ。