森信三師と森迪彦先生、親子2代に通底する生き方から学ぶもの
取材から約2週間後……突然の訃報
『致知』2022年4月号(3月1日発行)特集「山上 山また山」の制作がいよいよ佳境に差し掛かった2月15日、あまりにも悲しい知らせが届きました。
その約2週間前に取材をさせていただき、本号鼎談「森信三が目指した世界」にご登場いただいた「実践人の家」常務理事・森迪彦先生が逝去された、との訃報です。
森迪彦先生と本誌との出逢いはいまから17年前。2005年4月号連載「致知随想」にて初登場を飾り、その後3度にわたって特集ページの鼎談にて貴重なお話を賜りました。
SBIホールディングス社長・北尾吉孝氏やグロービス経営大学院学長・堀義人氏をはじめ、数多くの経営リーダーやビジネスマンから師と仰がれ、本誌の精神的源流にもなっている哲学者・森信三師。その三男として、偉大なご尊父が遺した思想哲学の伝承活動に、長年にわたり尽力されてきました。享年80。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
重篤な病に侵されながらも車椅子姿で上京
昨年8月号にて森信三師の高弟・寺田一清氏の追悼座談会を企画した折、森迪彦先生にお声掛けしたものの、ちょうど喉に癌が見つかり、治療に専念したいからと辞退されました。
年が明け、森信三師の没後30年の節目に際し、再度取材のご依頼をしたところ、「引き受けたい気持ちは強いけれども、体調に不安があるので、新たに実践人の家の理事長に就任された兼氏さんを推薦します」とのお返事でした。
こうして2月3日、森信三師の高弟・浅井周英氏と兼氏敏幸氏の対談取材が都内ホテルで組まれました。ところが、です。直前に連絡があり、迪彦先生も取材に同席されるというではありませんか。
当日、迪彦先生は兵庫から上京し、車椅子姿で会場に現れ、渾身の力を込めて自らの思いの丈を語ってくださったのです。
いま振り返ると、重篤な病に侵されているにも拘らず、無理を押して日帰り出張をし、本誌の質問に真摯に答えてくださった迪彦先生は、まさに命懸けで、『致知』読者に向けた遺言ともいうべきラストメッセージを私たち編集部に託すような気魄で、取材に臨んでくださったのでしょう。魂が震えずにはいられません。
森信三師の人生は幼少期から晩年に至るまで逆境の連続であり、4月号特集「山上 山また山」の言葉の如く、その都度逆境を乗り越え、命ある限り前進された方でしたが、ご子息の迪彦先生の人生もまた、天寿を全うする最期の瞬間まで命を燃やし続けた歩みそのものでありました。
遺言ともいうべき魂のラストメッセージ
実は迪彦先生の訃報に接する数日前、迪彦先生が夢の中に出てきたことがあります。尊敬する父を持ち、その後継者として歩んでいるという点で、私は迪彦先生を同じ道縁の大先輩だと一方的に感じていました。
仕事の夢を見るのは日常茶飯事とはいえ、著者の先生が出てくるケースは珍しいため驚いたのですが、いま思えばお別れの挨拶だったのかもしれません。いずれにせよ、迪彦先生から志のバトンを受け取ったと捉えています。
『致知』2022年4月号の鼎談「森信三が目指した世界」にて、迪彦先生は最後にこう締め括られました。
「人生は山あり谷あり、そういうものとして様々な出来事、逆境や試練に向き合い生きていく。これからも、その思いで父の目指した世界をまた自分も目指し、力の限り父の教えを多くの方に伝え続け、よりよい世の中に貢献していきたい。それが父の没後30年を迎えた今の私の心からの願いです」
迪彦先生のご遺志を受け継ぎ、これからも月刊『致知』の編集・発行・普及活動を通して、森信三哲学の実践と伝承に邁進していく所存です。
艱難辛苦に支えとなる先達の金言
人生とは悲哀の大海を渡るようなものだ、といいます。人との別れほど辛く悲しいものはありません。私も最近、最愛の家族を癌で亡くしました。
人との別れのみならず、私たちの人生には突如として艱難辛苦が襲いかかってくるものです。その時、まさかの出来事をどう受け止めればよいのか。森信三師の言葉が鮮烈に響いてきます。
「逆境は神の恩寵的試練なり」
「人間というものは、どうも何処かで阻まれないと、その人の真の力量は出ないもののようです」
「苦しみや悲しみの多い人が、自分は神に愛されていると分かった時、既に本格的に人生の軌道に乗ったものといってよい」
先達の教えを拳拳服膺し、人生の山また山に果敢に挑み続けていく覚悟を新たにしています。
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