偏見とリスクヘッジ
偏見をもたないことと、リスクヘッジは似ているけど、違うもの。
電車内に、偏見について語っている方がいる。
外国人や、男女差別について語っているその方は、日本人か外国籍の方かはわからない。
くたびれたシャツに派手なズボンを履いて、サンダルを脱ぎ、電車のシート丸々一列使い、ソファにくつろぐかのように、リラックスして座っている。
私が電車に乗ってから、ずっと大きな声で語っている。
初めは、イヤホンで会話をしているのかと思ったが、どうやらそうではないようだ。
駅員さんが、一度注意に来たけれど、変わらずそのまま続く。
乗客は、一度は目を向けるが、見てはいけない、関わってはいけないと思う人がほとんどで、知らんぷりして、そのまま乗っている。
私も、その中の1人だ。
第一印象で偏見をもたないことは大切。
自分の中の小さな価値観で、相手を決めてしまうには、自分の可能性を狭めてしまうことにも繋がり、もったいないと思うから。
でも、相手を少し知っていく中で、これは危険な香りがする、危ないかも、と思った時に、距離を取ることは、リスクヘッジとして必要なことだと思う。
では、今置かれている私を含めた乗客たちの見て見ぬふりは、どちらになるんだろう。
様子の違う乗客を見て、危険を感じて席を離れる人。
特に話しているだけで、今のところ危害はないから、平然を装い乗っている人。
別に誰があっている間違っているの問題では、ないと思う。
でも、この無関心と見て見ぬふりって、何か犯罪が起きた時、困っている人がいた時、どうなるんだろう。
そして、この現象は国によって対応と態度は変わってくるのだろうか。
見て見ぬ振りが当たり前。
声を上げる勇気がない。
周りに合わせて自分も行動する。
潜在的な人間の行動心理だけど、ちょっと怖いかなって思う。
何を思ったかというと、自分の身は自分で守れるように、しっかり考えて意思決定して行動したいねってこと。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?