#61 どうにもならない苦しみの昇華について / Not mud, You Lotus
梅雨のせいもあるけれど、
なーんかシンドイなぁと思って。
SNSを開くと、どうにもならない苦しみや、悲しみを抱えている人達がたくさんいて。
気持ちのやり場に困って、「どうしようもない苦しみからは、どうしたら救われるのだろうか」なんてテーマで考えてたら、下の図が浮かびました。
例えば、大切な人を悲しすぎる運命で亡くしたり、許したり寄り添っても大切なものを踏み躙られ続けたり、脅威を感じる相手から傷付けられ続けたり、原因と離別しても同じことが繰り返されたり、自責を取って成長し続けたことで周囲との乖離が広がって新たな火種となったり、そういうのが長きに渡って手放せない状態。
そんな苦しみは、どうしたらいいのか。
ART&SCIENCE
そんな場合は、問題を抽象化していって、ART&SCIENCEに昇華する、というのが真っ先に思い浮かびます。
だけどその意味のART&SCIENCEって、抽象度が高すぎるよなって。
そんな抽象の問題を考えたときに、最も抽象度が高いART&SCIENCEから、RELIGIONとDESIGNに落とし込むことが必要なんだと思いました。
RELIGION
広義のRELIGIONには、「宗教っぽい」と揶揄されるようなレベルのRockコンサートだったり、アメリカのドラマに出てくるような自然の中で輪を囲んだセミナー(ヨガや自助会)だったりを含めます。
私たちは宗教のヤバイ歴史を学んできたけれど、それは宗教が悪用された結果であって、オリジナルの考えはもっと純粋に、利他的なもので、本当は時代に合わせたアップデートと共に必要だったのかもしれません。
そういう意味を込めて、大衆向けに書かれた科学に基づく書籍も、このRELIGIONに分類します。
DESIGN
嵐で粉々になった家を再建するみたいに、
新しい暮らしをデザインする
コミュニティをデザインする
社会をデザインする
システムをデザインする
学びをデザインする
たぶんここはなんでも当てはまります。
昨日までと違うのは、ART, SCIENCE, RELIGIONと輪を結んでいること。特定の誰かが花開く利己的なDESIGNではなく、利他的に、多くの人が自然の中で花開くことが出来るDESIGNを見出すこと。
短期間で生み出すソリューションというよりも、
多くの場合、そこに「道」が出来るでしょう。
そう考えると、「役割」みたいなものが見えてきます。
生きる意味について
RELIGIONについて考えたとき、むかし映画館で見た、手塚治虫のブッダを思い出しました。
以下、ネタバレ(?)含みます
映画は、私が信仰しているアーティストがテーマ曲を担ったので見に行ったのですが、ブッダの三部作の一作目ということで、絶望しかない世界で、遂には母と共に崖から落ちる。そして流れる Scarlet Love Song が唯一の救いみたいな記憶しか残ってませんでした。
しかし、見返したところ、良いことを言っていました。
王子として生まれたシッダールタ(ブッダ)より、遥かに豊かな環境に生まれた私たち。シッダールタに出来たことが、現代人には出来ないと考えるほうが不自然かもしれません。
(そもそもシッダールタはすべてを捨てて出家してますが)
−−−
映画は打ち切りになったのかと思っていましたが、二作目も出ていたので見てみました。
二作目は、長い苦行を経て、悟りを開き、生きる意味を教え始めるまでの物語。
そこで仏教でお馴染みの「蓮」の話があり、それがなんだか印象に残りました。
かつてはカーストの頂点しか花咲けなかったかもしれません。今はたくさんの花が咲くようになったはずですが、それでもまだまだたくさんの蕾が、ドアマットとして泥の中に埋もれている。
つまり、泥の中に埋もれた可能性が花開くようにデザインすることが、より良い未来を築き、それがどうにもならない苦しみの昇華になるのだと、そんなふうに考えることも出来ると思いました。
…
長くなりましたが、お読みいただき、ありがとうございます。
Not Mud, You Lotus
苦しみの先で、花開く明日を信じて
参考文献
手塚治虫のブッダ -赤い砂漠よ!美しく-
https://watch.amazon.co.jp/detail?gti=amzn1.dv.gti.9aa9f4f8-c2d7-77fc-19d5-1e1b854eedfc&ref_=atv_dp_share_mv&r=web
BUDDHA2 手塚治虫のブッダ‐終わりなき旅‐
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?