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【走りながら考える欧米: 外資系企業のリアルな日常】

アメリカの企業で働いている現在、国境を超えたオンライン会議が頻繁に行われる。

そんな中、きのう同僚がこんなことをつぶやいた。

「外資に入ってみて思ったけど、海外の人って新しいこと始めるとき物事をギチギチに決めたりしないこと多いよね?」

私たちが働くチームは何ヵ国にも展開されている。アメリカやオーストラリアと繋いだ会議が行われ、年間目標が発表された。そしてその後に質疑応答も。

日本チームからの質問は、今回に限らずわりと細かい点をつくことが多い気がする。

国民性とも言える几帳面さがここにも出てるのかもしれない。計画的にやろうとするからこそ色々先に知っておきたいのかもしれない。

でもそんな思いに反するかのように、会議の質疑応答でのボスからの回答は「詳細は今後走らせながら決めていこうと思います」というものだった。

さっきの同僚の言葉はその会議の後に出たものだ。

「外国人ははっきりしてるとよく言うけど、白黒つけたがるのは案外日本人の方かもしれないですね」と私は笑って言った。

そういえば、最近読んでいた本にこんな一節があった。

ヨーロッパなどでは法律も「やってみてダメなら元に戻す」という感覚でどんどん作り替えるが、日本はいったん決まった法律をある種の戒律であるかのように絶対視する。—暦本純一さん著書『妄想する頭 思考する手』より


これを読んで確かにと思った。日本社会では何かを言ったり一度立てた目標を守ることにフォーカスされることが多いように思える。

これだけ読んだら至極真っ当なのだけれど……目標というはあくまで何かを成し遂げるための手段にしかすぎないのであって。だから、成し遂げたいこと、辿り着き場所さえ見失わなければ、私は目標が変わってもいいと思う。

ただ、この「手段」に執着しすぎるといつの間にかそれが辿り着くべくゴールだと錯覚してしまうことがあると思う。

事実、学校生活まで過去をさかのぼるとそのような場面は決して少なくない気がする。

この日本人の特徴は、実は日常生活から職場や学校まで、あるゆる場面に影響を及ぼしてるのは間違いない。

次は、それについて自身の体験を踏まえながらもうちょっと書こうかな。

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