聴けない音色と深夜のオレンジ
noteに本の感想を書く時は、(半年に一度書くまとめ記事などの)時々の例外を除けば、いつも一冊の本の感想でひとつの記事を書くようにしています。
でもせっかくnoteを本格的に更新するようになって迎える初めての読書の秋なんだし、どうせなら本に関する話の中でもこれまでやってこなかった事をやろうじゃないか!と思い立って、好きな作家さんの好きな作品たちの話をする事にしました。
(書いてるわたしが一番楽しいやつだ!)
というわけで吉田篤弘さんの話をします。
10年ほど前からずっと好きな作家さんです。
個々の作品に関しては出来るだけ物語の核心に触れるネタバレをしないように気を付けるので、興味が湧いたらぜひ実際に読んでいただけると幸いです。
吉田篤弘さん作品との出会い
いちばん最初のきっかけは、2011年の1月か2月頃の出来事です。
実家を出て都会で一人暮らしをする!という野望を実現するべく、1年近く前から準備を重ねていた時期でした。
2010年度末で退職したいという意志を1年近く前から上司に伝えてあったので、時間をかけて引継ぎを終えて最後の出勤日も円満に終了。そのまま有休消化期間に突入したのですが、もともと全然休めない職場だったので有休がすごく余ってたんですよ。おかげで1月半ばぐらいから、何をするでもなくのんびりと過ごす日々を送っていました。
そんな時期に行った地元のTSUTAYAで文庫本コーナーを眺めていた時、こんなタイトルの本が視界に入りました。
『それからはスープのことばかり考えて暮らした』(中公文庫)
平台に積まれていたこの本の表紙を目にした瞬間、あっこのタイトル好き…!!とそれこそ一目惚れのような高揚感を得て手に取り、内容もろくに見ずに小説という事だけを確認してレジへと向かいました。
そして読了。
商店街と路面電車のある町に引っ越してきた青年・オーリィ君(あだ名)と、彼を取り巻く周囲の人々が織りなす物語。
劇的な大事件が起きるでもなく、でもただ穏やかな日常とだけ呼ぶのも少し違う。今までに読んだ事の無い作風だ、と感じた連作短編集でした。
求職中で新しい町に越してきたばかり、というオーリィ君の境遇に我が身を重ねた事がとても印象深い初読だった事をすごく覚えてるんですよ。だから初めて読んだ時期もすぐ分かる。優しい時が流れる物語の世界に浸る事で、胸の内に渦巻いていた不安を払拭したかったのかもしれません。
そんなふうにして、作家・吉田篤弘さんの存在を知りました。
初めての出会いから考えたら約10年ですか。
何作か読むうちに、日常と空想が交錯するちょっと不思議な世界や人々をさらりと描かれるところ、そして隠し切れずだだ漏れになっている「本が好き」という気持ちから紡がれる人々の物語に魅かれていきました。
ここからは、個人的に特に好きな作品の話です。
針がとぶ ‐ Goodbye Porkpie Hat(中公文庫)
いきなり今年(2020年)の話をしますが、note書くのが面白くて暇さえあればずっと何かを書いていて、読むために手に取る本も実用書ばかりという日々が結構長い事続いてたんですよ最近。
その状況を自分でもやりがいを持って楽しんでいた筈なんですが、小説を一冊も読まずにずっと文章を書くかプロレスを観るかなどして9月のシルバーウイークを終えた後、とにかく面白い小説が読みたい!!実用書じゃなくて小説のうつくしい文章を摂取したい!!!という欲が爆発したんです。
で、早起き出来た9月26日土曜日の朝に自分の本棚をざっと眺めて、一番最初に目に留まったこの本を取り出して好きなブックカバーかけて、隣町のタリーズへ行ってコーヒーのみつつ久々に再読したんですよ。
そしたらもう「とにかく面白い」と「小説のうつくしい文章を摂取」のどちらもを満たしてくれる一冊だ……と読み進めながら高揚感が満ち満ちてきまして。
(その時のことはこちらでも書いています)
盛大に燃え盛る真っ赤な炎ではなく、静かでありながらも確かな熱でもって燃える青い炎の高揚感。久々に読む小説がこの本でよかったと思ったものでした。
ひとつひとつのお話は時代も世界もそれぞれ独立していて、登場人物たちはそれぞれの日々をそれぞれの信念をもって生きています。
でも読み進めるうちに、確かに連作短編集なんだなと実感できる構成になっているんです。
本の世界の外側にいる読者だけがそれを理解できる。
加えてこの作品の面白いところは、この『針がとぶ』という書名のとおり、響き合う世界を俯瞰できる読者であっても読むことの出来ない物語が存在するところなんです。
『針がとぶ』とは、レコードの盤面についた傷によって、レコード・プレイヤーで再生した時に音がとんでしまう現象のこと。
針がとぶ箇所には、聴くことの出来ない音楽がある。
この書名を再現するかのごとく、吉田さんは本作を連作短編集として書き上げた後に、何話かを抜いて完成としたそうです。
登場人物には聴けない音色と、読者のわたしたちには読めない物語。
その空白にあるものを想像するのも、空白込みで繰り返し味わうのも受け取る側の自由で特権。
伏線回収と呼ぶほど仰々しいものじゃない、でもこれも確かに小説を読む愉悦だと実感出来る読書体験でした。
書影も素晴らしいので、機会があればぜひ実物を見てみてください。
空ばかり見ていた(文春文庫)
彼は鋏ひとつだけを鞄におさめ、好きなときに、好きな場所で、好きな人の髪を切る、自由気ままなあてのない旅に出た……。
という裏表紙のあらすじにある通り、流浪の床屋ホクトさんにまつわる12話から成る短編集。
もう「流浪の床屋」なんていう設定自体が百点満点大勝利だと思うわけですが、各話ごとに世界観がしっかり構築されていて、ホクトさんが(現実には存在しない街も含めた)様々な場所でいまを生きる人々に出会い、その営みに触れるのです。
星の名を持つホクトさんの存在以外にも共通点があって、それが「空を見上げる」という行為なんです。
人は様々な理由で空を見上げます。
本書の登場人物たちも、じりじりと雨を待ち望んだり流星群への期待を込めたり。それぞれの理由や事情を胸に空を見上げるひとときが、物語を紡ぐうえで欠かせない要素となっています。
12話の物語ひとつひとつが星々だとしたら、ホクトさんはそれぞれを繋ぐ線。読み終えた時に描かれる星座はきっとあなたの胸に残ることでしょう。
……この記事を書くために本棚から引っ張り出して空色の表紙をパラパラっと捲っていたら読みたい欲に駆られてやまなくなりました。明日はこれを読む!
圏外へ(小学館文庫)
noteを始めて間もない頃、こんな記事書きたいな~というアイデアを幾つか書き留めた事があるんですが、その中に『再読する事で面白さに気付けた本』というものがありました。
そういう本あなたはありますか?
わたしはこれです。吉田篤弘著『圏外へ』。
(ちなみにこの本以外に思いついたのがサリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』だけだったので、この話題で記事を書くことは実現しませんでした。誰か書いてくださいわたしの代わりに)
解説込とはいえ600頁の文庫本というなかなかの存在感なので、わたしの部屋の本棚でも町田康『告白』や森博嗣『数奇にして模型』などど並んでなかなかに異彩を放っています。
まず裏表紙に書いてあるあらすじを紹介しますね。
主人公は、「カタリテ」と名乗る小説家。書き出しで行き詰まり、書き続けることができなくなってしまう。そんななか、小説内の登場人物が、痺れを切らして「蝙蝠」に変身しながら新たな話を始めてしまったり、<南の鞄>という謎の巨大鞄から生まれた、過去形で予言をする「ソボフル」なる人物の壮絶な半生が突如語られ始める。一方、ようやく「語り」を再開させることになった「カタリテ」は、自らの作品世界に入り込んだ後、南を目指し<エッジ>という名の作中人物や作家たちが集う奇妙な療養所に妻とともに辿り着くのだがーー。
わけがわからないよ。
これまでに挙げてきた3作品と比べると空想成分多めで、内容だけでなく文章や語彙や表記の「らしさ」までひっくるめて、それこそ吉田さんの頭の中を覗き込むに等しい作品なんです。
とはいえいくら好きな作家といえども、600頁近い量の文字を追いつつその思考を延々と浴び続けるのはさすがにしんどい。
初めて読んだ時にものすごく疲れたのを今でも覚えてます。
…ただ、そうやって疲れたのは確かなんですが、なぜか手放せなかった。
一度通して読んでピンとこなかったら好きな作家の本でも手許に残さない主義なんですが、この本はいつかきっと再読したくなるだろうという予感があって、読み終わった後もずっと本棚に置いていました。
読書メーターの記録によると、初読が2014年7月9日。
再読が2015年7月12日。
面白いと思わなかった本を一年以上も持っておくなんて、自分でも自分が信じられないです。ほんとに。断捨離を知った今なら考えられないこと。
再読時の感想に、こう書き残しています。
語られる文章は現実と夢と物語と虚構をいったりきたりで自分がどこにいるのか境界がどんどん曖昧になってくる。一度目に読んだ時は全容がいまいち掴みきれなかったけど大好きな一冊になった。
ここまで翻るか。
夢と物語と虚構。
いずれも現実の対比として違和感なく語れるけれど、それぞれは微妙に違うものたち。
初読時の疲労感は、それらの微妙な違いを受け止めるだけの度量を持っていない自分の力不足ゆえだったのかな、と今では考えています。
再読で好きになったとはいえそれっきり読まないまま5年が経ってしまっているけど、今読んだらどんなふうに心が動くんだろう。厚みも含めて読むのに気合いが要る一冊だけど、そのうち挑みたいです。
この本はおすすめしません。
ただ私にとってこの記事を「個人的に特に好きな作品の話」と銘打って始めた以上は欠かせない一冊なのです。
つむじ風食堂の夜(ちくま文庫)
たぶん吉田さんの著作の中でも『針がとぶ ‐ Goodbye Porkpie Hat』や後述する『おかしな本棚』と並ぶ勢いで何度も読んでいる一冊。
とっても薄い文庫本で、1ページに14行という余白の多いページ構成だからすぐに読めるというのもあるけれど。
初めて読んだのは2014年でしたが、語り過ぎず想像の余地を残した言葉の選択のさじ加減がちょうど良くて、読み進めるのがとても心地よかったんですよ。
ずっと好きだった『それからはスープの~』を説明過多に感じてしまうぐらい、文字を介して眼前に繰り広げられる光景をきれいだと感じたんです。
つむじ風。
猫のオセロ。
電球の灯に映える深夜のオレンジ。
優雅に舞う手品師の両手。
水門と十字路と聳え立つアパートメント。
おとぎ話ではないけれど、現実に存在する町ともどこか違う、夢のなかの夢のような町。そこに住む人々の物語を、夜や黒に属するものが彩る。
そんな現実感の薄い群像劇と同時に、いなくなってしまった人がもたらす喪失感をしっかりと描いているんです。
言葉のあやで「しっかりと」なんて書いたけど、決して語り過ぎることなく。
吉田さんの作品って夢心地ではあるけれど、決して地に足がついていないわけではないのだよな。それは本作のように、生きる以上誰にだってついて回る喪失を省かずに描いている事が大きいと思う。
月とコーヒー(徳間書店)
2019年2月に発売されたばかりなので、現時点では単行本のみです。小ぶりでかわいいサイズで、結構厚みがあるのに軽めのハードカバーの中身は24話収録の短編集。
ひとつひとつは短いエピソードで、時には「ここで終わり??」というようにあっさりと途切れてしまうお話もあって肩透かし感を味わいもするのだけど、それも全部ひっくるめて手のひらの上だと打ち明けられるあとがきの親密な照度が好きなんです。
太陽の下で進み続けるためにはパンを食べる事が欠かせないけど、あくまでも生き続けるための手段であって、それが目的になってしまったら味気ない荒廃した日々になってしまう。
限られた時間をただただ消費するのではなく。
他の誰に理解してもらえなくとも、生きていくために欠かせないもの、それがある事で自分の日々が潤い彩られていくもの。
それを大切にしたい。
…という事をそっと伝えてもらえた作品です。
おかしな本棚(朝日新聞出版)
これは吉田篤弘名義ではなく、書物の装丁などを手掛けるデザインワークのユニット『クラフト・エヴィング商會』名義で発表している一冊です。
吉田篤弘さんを語るならクラフト・エヴィング商會は欠かせない存在なので、中でも一番好きな本作を入れてみました。
本作は一応ブックガイドであり様々な本に関するエッセイの様相を呈する一冊ではあるんですが、紹介される本は一部の例外を除いて背表紙しか映っておらず、本のあらすじにもほとんど触れない内容という前代未聞の一冊です。
まさに『本棚』の本。
さまざまなテーマの本棚にぴったり合う書籍を集めて並べたお写真も沢山載っています。それを見るだけでも知人の本棚やテーマのある古書店の棚を眺めている気持ちになれて楽しい。
自分の読了本や好きな本(サリンジャー『フラニーとゾーイー』とか)があると無性に嬉しくなったり、背表紙から伺える情報(タイトルと装丁、フォントなど)から興味が湧いて中身も読んでみたくなったり。
ついでに自分なら〇〇の本棚に何を入れるか、どんな本棚をつくるか、、、といった事を妄想してみる楽しさもあるよ。
『針がとぶ ‐ Goodbye Porkpie Hat』のクロークルームの彼や『空ばかり見ていた』の本と毛布を集める彼女のように、吉田さんが書く小説には本が好きな人がよく登場します。
吉田さんご自身が「本」に対して並々ならぬ熱意をもっていらっしゃるからこそ、あのような登場人物たちを理想とリアリティの両方をもって描けるんだなと本作を知ってつよく思いました。
この本を知って以来、全幅の信頼を寄せる作家さんです。
まとめ
勝手な解釈であれこれ書いてみました。
日常だけど完全な現実ではない、現実と幻想のあわいを掬い上げて物語にしたためる事が出来る稀有な作家さんだと思っています。
本が好きな人なら間違いなくシンパシーを感じる描写があるはずなので、読書の秋2020、この機会に吉田篤弘作品を手に取ってみてはいかがでしょうか。