オフィーリアいつかいつか
コロナに感染し、毛布にくるまってベッドに横になっていた2月のこと。
とにかく身体がだるく、ゴロゴロしていた。
「あらァ~、まるちゃん。(私)が花に囲まれてて天使みたい」
先にコロナに感染し、私にうつし、すでに元気になっていたオットが、笑いながら飲み物を持ってきた。
天使だって?
髪はぼさぼさ、パジャマに眼鏡姿、身体がだるく、ボケーっとしているこの私が?
褒められて満更ではないが、メイクをバチバチに決め込んでデートしているときの私はどうなるんだ?神かな?
そんなことを話したくても、とにかく身体が痛くて、話す気力もなかった。
花に囲まれている、というのは、くるまっていた毛布と枕カバーが花柄だったからであろう。
私はただ一言、「オフィーリアみたい?」と話すのがやっとだった。
花(柄の毛布と枕カバー)に囲まれ、今にも死にそうな私。
オフィーリアほど美しくはないが、天使みたいだとオットが言ってくれるなら、私はオフィーリアと錯覚してもよかろう。
温かい飲み物を飲むと、目がまどろんできて、急激に眠くなってきた。
「オフィーリアって誰?ラルク?」と聞いてくるオットに、説明する元気もなく、また眠りについた。
オフィーリアは、シェイクスピアの戯曲『ハムレット』に登場する人物で、イギリスの画家・ジョン=エヴァレット=ミレイが描いた絵の作品名である。
このオフィーリア、主人公ハムレットの恋人なのであるが、ハムレットはオフィーリアの父を復讐相手である叔父と勘違いして殺してしまう。自身の父親を最愛の恋人に殺されてしまったオフィーリアは狂い、花輪を枝にかけようと柳の木によじ登った途端、足を滑らせて川に転落し、そのまま亡くなってしまう。
オフィーリアは、自分が川に落ちたことに気付いていないのか、歌い続けていて、服が水を吸ってだんだん重くなり、川に引きずり込まれて亡くなる、とある。
しかもこの戯曲はオフィーリアの死の瞬間は描かれず、登場人物による説明で明らかになるのである。登場人物の死がナレーションによって知らされる、いわゆるナレ死のような感覚であろうか。
オフィーリアは様々な画家が描いているが、なかでも川に落ちてもなお、歌い続けるシーンを描いたミレイの作品が最も有名である。
私がオフィーリアと出会ったのは、大学3年生か4年生の就活時期であった。
就職希望先の一次試験が教養問題で、多くの教科やジャンル(時事問題や知識など)から数問ずつ、合計40問程度出題される。
試験対策をしていて、先生たちに言われたのは、「捨て問は潔く諦めろ」だった。
小学生のテストから大学生の試験までは、万全なテスト対策をして、なるべく満点を目指すスタイルだった。
出題される範囲が決まっていて、そこをなんとか頑張って理解していればよかったのである。
ただ、今回の教養試験はそうもいかない。今まで勉強していない分野の問題も出題されるのである。
例えば、物理。
私はドがつくほどの文系人間だったので、物理の知識は中学生まで。高校では生物を選択していたし、大学生になってからは、そもそも理科と決別していた。
教養試験40問のうち、物理の問題は大体2問。センター試験(今は大学入学共通テストと言う)に出るような難易度で出題される。この2問のために、今から物理を勉強するのではなく、残りの問題で点を取れるところは確実に取れ、という教えだった。
なるほど、満点を目指すのではなく、あくまで合格を目標にすれば良い。
そうすると、高校で選択していなかった問題は捨て問になる。
時事問題は新聞を読んで知識をつけ、多く出題される数的処理や英語などはこれまで通り対策していればいい。
だが、高校生の時に選択していた教科の問題は必ず正解できるかと聞かれればそうもいかず、少しでも対策ができそうな教科は、知識を思い出す作業が必要であった。
そんな中、今からでも勉強して、試験対策ができそうな分野の一つに美術があった。
模試や過去問を解いてみて分かったのは、作品名と作者の組み合わせが正しいものを選択する形式で出題されることが多いということ。
正解を一発で導きだすことはできなくても、5つの選択肢の中から「この組み合わせは違う」と分かれば、選択肢が減って、勘で当たる可能性も高くなるのではないか。
高校では美術を選択していなかったし、知識は有名な作品が分かるくらいの美術ど素人の私にぴったりのテレビ番組があった。
びじゅチューン!である。
井上涼さんが一つの美術作品について、歌を歌い、アニメーションをつくる。一つ一つがキャッチーで、覚えやすいのである。
(ご存知ない方は、森永乳業のひとくちモッツァレラのCMを見れば、イメージが分かるかと思う。あのCMも井上さんがイラスト(アニメーション)、作詞、作曲、歌唱を担当されている。)
歌の後は解説があるし、5分で終わるという短い放送も魅力の一つだった。
番組を観続けているうち、私はある一曲と運命的な出会いを果たした。
それが、「オフィーリアまだまだ」である。
オフィーリアが背泳ぎしているという設定。
そのあとの解説を観て、「いや、死ぬんかい!」と1人でツッコミを入れてしまった。
だが、元の絵を観た時、なんて美しいのだろうと心を奪われた。
川の流れに沿うように浮かぶ綺麗なオフィーリア。
虚ろな目に、半開きの口。川に浮かんで広がったドレス。
傍らには色彩豊かな花輪や緑が描かれており、なんとも美しい景色のように見える。
悲劇的な場面なのに、その様子はひどく美しい。
ちなみに描かれている花は、花言葉の意味が死を連想させるようなものや『ハムレット』の作中でオフィーリアが抱く感情などで溢れているらしい。
試験対策に関係なく、私はオフィーリアの虜になり、それからというもの、私の一番好きな絵はオフィーリアが堂々の一位を飾っている。
教養試験にオフィーリアは出てこなかったが、びじゅチューン!で観た作品が選択肢の中に登場したことがあって、役に立った。
組み合わせが誤っていると分かっただけで、回答した選択肢が合っていたかは分からないけれど。
普段から美術について語るような夫婦ではないため、オフィーリアについてオットは何も知らなかった。
元気になった私は、オフィーリアの魅力を伝えるうちに、改めてこの作品が好きだと再認識した。
ちなみに、オットにオフィーリアを説明した時、開口一番、「ラルクにそんな歌あるよ」と言われた。ラルク?とあの時聞いてきたのは、その歌が思い浮かんだかららしい。
私はL'Arc〜en〜Cielの曲は数曲しか知らないのだが、歌詞を見ると、確かにハムレットに登場するオフィーリアをモデルにしているようにも見える。
いつか、オフィーリアの絵をこの目で見てみたい。
イギリスのテート・ブリテン美術館に所蔵されているのだが、日本では大塚国際美術館で陶板名画として展示されている。
私は東日本に住んでいるため、大塚国際美術館がある徳島県までは遠く、気軽に行くことはできない。
イギリスに行くより簡単であることは分かっているのだが、飛行機の直行便はなく、乗り換えなどを考えると、まとまった休みが必要で、なかなか実行に移せないでいる。
でも、いつか、絶対に見るぞ。
オフィーリアいつかいつか。