詳述・後知恵バイアス 「知ってた」の心理に陥りやすい日本人【心理学】
後知恵バイアスとは、出来事を「もともと分かり切っていたことだ」と思い込んでしまう認知の歪みです。「木を見て森を見ず」とは細部に囚われて全体を見失うなという警句ですが、日本人を含めた東洋人の場合、全体をイメージで捉えようとして細部を見失い、結局は全体への理解もあやふやになってしまうようです。
いわば「森を見て木を見ず」といえましょう。以下詳しい解説です。
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後知恵バイアスとは、ある過去の出来事について、
①「あれは必然的に起きたことだった」
②「あの結果は簡単に予想できたことだった」
等と決めつけてしまうタイプの認知の歪みである。
この記事では、後知恵バイアスの定義、研究例、西洋人よりも東洋人が陥りやすいという指摘、及びこのバイアスの危険性についてみていきたい。
長くてしんどそうだったら、「1」と「4」だけ読んでほしい。
1 後知恵バイアスとは何か
ミシガン大学心理学教授のニスベットによれば、後知恵バイアスとは、人間が陥りやすい以下二つのバイアスのことを言う。
(1)少なくともそれを振り返るときには、出来事が違った形になることはあり得なかったと信じてしまう。
(2)実際のところ、出来事がそうなることを「前もって」予測するのも簡単だったとさえ考えてしまう。
(リチャード・E・ニスベット ミシガン大学心理学教授 村本由紀子訳『木を見る西洋人 森を見る東洋人』ダイヤモンド社 2004年 149頁参照)
「そうなるに決まってたよ」「誰でもわかることだったよ」「知ってた」との言葉は、日常でもよく聞くし、SNS上にも溢れている。だが、それらの言葉の背後には後知恵バイアスがあるかもしれない。
2 アメリカ人と韓国人の対象研究
ニスベットによると、傾向的にいって、西欧人よりも東洋人の方が後知恵バイアスに陥りやすい。
西洋人は、世界を明示的な因果モデル的に見る傾向がある。そのため、「そのモデルに整合する限りは複数の結果が予想できる」と考えるし、モデルから外れた結果には素直に驚く(分析的思考様式)。
他方で、東洋人は世界が潜在的な相互依存関係にあると見るので、「原因は無数にあるのだから結果は一つしかない」と決めつけがちである。しかも、それなのにというべきか、だからこそというべきか、「結果も無数にありえる」とも考えるため、どんな結果でも驚かずに納得してしまうのである(包括的思考様式)。
「結果は一つしかない」という信念と、「結果も無数にありうる」という信念はぶつかるはずだが、こうした「矛盾」も東洋人は西洋人ほど深刻視しない。世の中には矛盾があってもおかしくないと考えるのだ。
西洋人と東洋人の違いに関して、興味深い研究を『木を見る西洋人、森を見る東洋人』から2つ紹介する。これらは韓国人とアメリカ人を対象とした研究だが、日本人を対象とした研究も後ほどあげる。
●研究1 神学部生と人助け研究
参加者に一人の神学部生の話をする。その神学部性は、とても親切で信心深い性格である。あるとき彼は説教をする予定があったため、キャンパス内を歩いていた。すると玄関のほうで倒れている男性を発見した。男は彼に助けを求めている。
さて、研究者は被験者を条件A、条件B、条件Cのグループに分け、アンケート調査を行った。
以下がそれぞれの条件と、被験者の回答である。
条件Aグループ その神学生が何をしたかを知らせない。そして質問する。
問1 「神学生が人助けをした可能性はどのくらいだと思うか」
→ 韓国人・アメリカ人ともに、「80%の確率で助けるだろう」と答えた。(意訳「八割方助けるでしょう」)
問2 「もし彼が援助をしなかったとしたらどのくらい驚くか」
→ 韓国人・アメリカ人ともに、「非常に驚くだろう」と答えた。(意訳「ええっ、助けないの!」)
結末の情報が知らされなかった場合には、無難な予測が行われる。神学部生は人助けをすると予想するだろうし、だからこそ実際に人助けをしなかったら驚く。ここに不思議はない。
条件Bグループ 神学生が人助けをしたという結果を伝える。そして質問する。
問1 「もし人助けをしたという結果を知らなかったら、神学生が人助けをした可能性はどのくらいだと思っていたか」
→ 韓国人・アメリカ人ともに、「80%の確率で助けると思っただろう」と答えた。(意訳「八割方助けるでしょう」)
問2「彼が援助をしたことに驚いたか」
→ 韓国人・アメリカ人ともに、「驚かなかった」と答えた。(意訳「そりゃ助けるだろう」)
こちらは結末の情報を知らされたわけだが、この結果はもともと予想しやすいもの(助けた)だった。この場合の回答は条件Aの場合と変わらない。 素直に助けると予想をし、予想通りの結果が出たところで驚きはないということである。
条件Cグループ 神学生が人助けをしなかったという結果を伝える。そして質問する。
問1 「もし人助けをしなかったという結果を知らなかったら、神学生が人助けをした可能性はどのくらいだと思っていたか」
→ アメリカ人は、「80%の確率で助けると思っただろう」と答えた。(意訳「八割方助けるでしょう」)
→ 韓国人は、「50%の確率で助けると思っただろう」と答えた。(意訳「五分五分かな」)
注目すべきは韓国人の反応である。韓国人には後知恵バイアスが働いたために、「神学部生が人助けをしない可能性なんて、もともと考慮できていたはずだよ」と思いこんでしまったのである。
条件Cグループの者たちも、「意外な結果を知らされた」ということ以外は条件A・Bグループの者たちと同じ状況にいる。意外な結果を事前に知らされていなかったならば、「80%の確率で助けると思っただろう」と答えたと推測される。
問2 「彼が援助をしなかったことに驚いたか」
→ アメリカ人は、非常に驚いたと答えた。(意訳「ええっ、助けないの!」)
→ 韓国人は、たいして驚かなかったと答えた。(意訳「五分五分だったしね」)
これも後知恵バイアスが働いた結果だと捉えることができる。「神学部生が人助けをしなかった」というのは、「もともと予想はついたこと」になっている。だからこそ、そこには驚きが生まれない。
この点、アメリカ人は、「結末が与えられなかったときに自分ならどう考えたのか」を正確に想像しているから、意外な結果を素直に驚くことができている。
(以上、『木を見る西洋人、森を見る東洋人』149-50頁参照)。
●研究2 仮説間の争い研究
西洋人が明示的な仮説を重視していることは、別の研究からも示されている。この実験では、アメリカ人と韓国人は二つのグループにわけられた。
一方の参加者には、一つの仮説だけが教えられた。参加者には、「現実主義が精神的健康を高める」という仮説を検証する研究の話がなされた。
他方の参加者は、二つの対立する仮説が教えられた。「現実主義が精神的健康を高める」という仮説と「楽観主義が精神的健康を高める」という仮説である。参加者には、この二つの仮説のどちらが正しいかを検証する研究の話がなされた。
最後に双方の参加者には、「現実主義が精神的健康を高める」という研究結果を聞かせた。
どうなったかというと、アメリカ人は、二つの対立する仮説を示された時の方が、結果に驚き、かつ結果をより面白く感じた。だが、韓国人にはそうした影響は見られなかった。
(以上、『木を見る西洋人、森を見る東洋人』151頁参照)。
西洋人は「明示的な仮説―検証」という分析的思考形式に慣れているからこそ、仮説と仮説のぶつかり合いに興味を示し、敏感に反応するだと考えられる。西洋人が後知恵バイアスに陥りにくい背景には、このような習慣があるのだろう。
3 日本人を対象とした研究
●研究3 神学部生の人助け研究 日韓英仏比較
調べてみると上述した神学部生の例を用いた日韓英仏比較研究も行われているようだ。
そこでも、日本人と韓国人は後知恵バイアスに陥りやすく、イギリス人とフランス人はそれほどではないことが示唆されている。
ちなみに、この研究で面白かったのはイギリス人の反応である。
結末情報を知らされた日本人と韓国人群には「結末を知らなくても予想はできていたはず」(意訳「助けないという結末を知らされてなかったとしても、自分は、『神学部生だからといって人助けをしない可能性』のことを正確に考慮できてたはずですね」)という後知恵方向への変化が生じた。
だが、イギリス人群には「結末を知らなかったら予想を外したはず」(意訳「助けないという結末を知らされてなかったら、自分は、『神学部生ならきっと人助けをしてくれるだろう』と無邪気にも信じていたでしょうね」)とでも言いたいかのような、逆方向への変化が起きている。
(山祐嗣・川崎弥生・足立邦子「知恵バイアスについての比較文化的研究」日本認知心理学会発表論文集 2007年参照)
●研究4 アテネオリンピック研究
他にはアテネオリンピックを題材とした研究がある。被験者の大学生たちには、アテネオリンピック開催一カ月前と、開催約二カ月後の二回にわたりアンケートに回答してもらう。
一回目の調査では、競技・選手14項目について予想をしてもらう。
例:女子マラソンで日本がメダルをとる確率。
二回目の調査では、オリンピックの結果を教示しつつ、一回目調査での回答を思い出してもらう。
例:女子マラソンにおいて、日本の野口みずき選手が見事金メダルを獲得しました。あなたは前回の調査で「女子マラソンで日本がメダルをとる確率」を何%と予想しましたか?
結果、良い結果を残した選手について最初の予想を高く見積もることはなかった(後知恵バイアスなし)が、良い結果を残せなかった選手については最初の予想を低く見積もる傾向がみられた(後知恵バイアスあり)。
つまり、「はじめからメダルをとると思ってたんだ!」という傾向はなくとも、「まぁ、はじめから無理だと思ってたんだよ」という傾向は確認されたということだ。
なお、この研究では、二回目の調査において、被験者を二つのグループに分けていた。
「後知恵バイアスというものがあるから、それを回避するように回答してください」と注意をするグループと、しないグループである。ところが、この二つのグループの回答に有意な違いはなかったという。つまり、後知恵バイアスを回避するのは難しいのだ。
以上の事例は桑山恵真・今井久登「事後情報が記憶に及ぼす影響—アテネオリンピックの状況を用いての後知恵バイアスと調和バイアスの検討—」日本認知心理学会発表論文集 日本認知心理学会 2005年参照
とはいえ、この研究が示すのは、いきなり後知恵バイアスを説明されても本人には回避しがたいというところまでだろう。
事前に後知恵バイアスを知っておき、普段から気をつけているのならば改善はできるのではないだろうか。何かを予想するときは、何をどう予想するのか記録しておき、後に検証する癖をつけるとかもありだろう。
明示的な因果モデルを設定し、そこから予測を立てて検証を行う、という西洋人風のやり方を真似するのも、後知恵バイアスを回避する上では効果がありそうである。
また後知恵バイアスを第三者がフォローする、あるいはフォローできる仕組みを作っておくのも重要だろう。当人の後知恵バイアスが回避しがたくとも、彼/彼女を見る側が「あいつのあれは後知恵だな」と当たりをつけるのはそう難しくないと思う。
●研究5 実際の裁判事例を題材にした研究
→ 後述
4 後知恵バイアスの危険性 歴史解釈・責任追及・科学的思考
後知恵バイアスが危険をもたらす場面を三つほどあげてみよう。
(1) 歴史解釈
これは歴史を解釈する際に顕著だろう。当時からすると、さまざまな可能性がみえていたはずなのに、後から振り返ってみたときには、現実に通ってきたただ一つの道だけが必然だったかのようにみえてしまうのである。
ニスベットは、ローマ帝国の滅亡、ナチス第二帝国の台頭、アメリカがロシアより先に月面着陸に成功したことその他を、「歴史的必然」かのように語る評論家は後知恵バイアスに陥っているとみている。確かに評論家たちの理屈をみると、まるで歴史は他になりようがないように思え、彼らはそれを元から見抜いていたかのようにみえてくるが、そう考えるのは早計なのであろう。「歴史にIFはない」などという評論家は、深遠な真理にたどり着いたのではなく、後知恵バイアスに陥っているだけかもしれない。
(2) 責任追及
おそらく後知恵バイアスは、責任追及の現場で、日常的に害をもたらしているだろう。偶発的なミスによる事故でも、「そんなミスは前もって予測できたはずだろう」と考えてしまえば、責任を不当に重く見積もることになる。
逆に、「出来事は他にはなりようがなかったし、内心みんなも予想していたことだろう」と考えれば、今度は責任を不当に軽く考えることになる。
実際の裁判事例を題材にした研究においても後知恵バイアスが確認されているようだ。
検索をかけたら産経ニュースで取り上げられていた。
山教授本人のブログでも触れられている。
ちなみに、似たような例を、ダイニル・カーネマンが取り上げているのも確認した。
(3) 科学的思考
後知恵バイアスは、科学的な思考を殺しかねない。
科学は驚きから生じるといわれる。「違う結末もありえたのに、よりによってなぜその結末に至ったのか」と素直に驚き、その説明となる理論を考え、見事な理論にはしかるべき称賛を与える、というのが科学の発展には重要だ。
ところが、ただ一つしか道はありえなかったなどと達観しては、驚きも、説明づけの努力も生じない。仮に優れた理論が生まれても、「そんなことは予想できたことだ」などと軽くみられてしまうだろう。逆に、「何が起きてもおかしくない」という開き直りからも、説明づけの努力は生じない。
というわけで、後知恵バイアスにはしっかりと害がある。今日も至るところで猛威を振るっていることであろう。
以上、後知恵バイアスの詳細をみてきたが、どう思われただろうか。
こんなこと、はじめからわかっていただろうか?
追記
ちなみに、私は決定論を支持する心理の裏にも後知恵バイアス、あるいは類似のバイアスがあるのではないかと考えている。それについては以下の記事で書いてみた。
【関連記事】
基本的帰属錯誤
東洋人が後知恵バイアスに陥りやすい一方、西洋人は基本的帰属錯誤という別の誤謬に陥りやすいことも指摘されている。
再現性の問題
2015年、心理学(特に社会心理学)の論文は再現性がかなり低いという論文が提出された。しかも、その原因は学界全体に「疑わしい研究手法」が蔓延しているからであるという指摘がなされている。現在では学界を挙げての対策が行われつつあるようだが、何かを決断するとき、心理学研究に頼りきるというのはまずそうである。
なお、後知恵バイアスについては追試に成功したという話を目にした。
ただし、後知恵バイアスの存在について追試されたという話で、東洋人と西洋人との差に関する研究が追試されたわけではない。