5月は眠るように目を閉じた
唯一好きなバンド、my hair is bad に今日も耳を委ねて1日をスタート。
パートナーに教えてもらって好きになったバンド。
あまりにも日本語が美しい。
彼のリリックは日本語をより洗礼されたものにしていく気がする。
そんな彼が綴った、
-幸福も不幸もまるで泡みたいだ
-夢を見ていた
-君が笑っていた
-記憶が残っていた
-思い出を校庭に埋めて
子どもたちはみな大人になった
-砂時計を元に戻しても
これらが特に好き。
彼は忙しなく生きる僕に
心の隙間をちょっこっと付け足す。
現実にのめり込み、
高校生の時に感じていた、
あの満足感を
卒業して2ヶ月後の僕は
どこか無くした。
毎日に生産性を求め
目的と目標を追う日々。
でも、
高校生の僕は
思い出と楽しさのみを追っていた。
誰かの美しさと優しさに触れて、
季節の変わり目を感じ、
おいしさに幸せの焦点をあて、
感受性を高めながら、
毎日自転車を漕いでいた。
中学の恩師から卒業時に言われた
感受性を豊かに生きなさい。
僕の感受性はどこ行った?
でも、
探すものじゃないと思う。
感じる余裕を持てるかどうかな気がする。
本質を見失うほど忙しくやるのは、
果たして自分の目的か?
たまには、
意味のないことをしよう。
何も産めなくていい。
何も求めずに。
一瞬一瞬を、
目に焼き付けたい。
動画ではなく、
シャッターを切りたい。
1限が始まる1時間前に、
まだ誰もいない教室で、
彼の声を聞きながら書いた文章はどんなだろう。
ふとした時に見返すあの瞬間が楽しみ。