丸の内じゃない方の岩崎家の文庫【知の大冒険】東洋文庫ミュージアム 東京都文京区
東京都文京区は多数の大学を抱える文字通りの文の京(ふみのみやこ)。
江戸時代には大名屋敷が並び、六義園(柳沢邸)や小石川後楽園(水戸徳川邸)、肥後細川庭園(細川家)と旧大名庭園も残っています。
区内にあるミュージアムでは永青文庫と東洋文庫が個人的ツートップ。
旧大名系と旧財閥系のミュージアムですが、偶然にも共に館名には文の庫(ふみのくら)。(少しお堅い雰囲気がありますが、実際はそんなことありません)。互いに連携した展示が企画され、文京区内での回遊性を促すような試みも行われています。
2022年に都心丸の内に引っ越してきた静嘉堂文庫美術館は、日本美術の名品を多数収蔵する三菱系ミュージアム。コレクションの核心は三菱創業者岩崎彌太郎の弟彌之助と小彌太親子の蒐集品。
一方今回の主役東洋文庫は同じ三菱系ミュージアムでも彌太郎の子久彌の蒐集品をベースとしています。アジアの書籍や書物に特化しているのが特徴。
東洋文庫ミュージアム
東洋文庫は日本最古の東洋学の研究図書館で、蔵書総数は約100万冊(国宝5点、重要文化財7点含む)。世界5大東洋学研究図書館の1つ。
三菱3代当主岩崎久彌(彌太郎の子:1893-1916)により設立。
1924年竣工の初代本館(現存せず)は、岩崎家と関係の深い建築家ジョサイア・コンドルの弟子で、三菱地所の技師桜井小太郎による設計。ミュージアムを併設した現在の建物は2011年の竣工で、三菱地所設計の手によるもの。
大名庭園六義園は不忍通りの向こう側。北へ少しがんばって歩けば、コンドル設計の洋館のある古河庭園(東京都北区)がある立地。
東京都文京区本駒込2-28-21
コレクションの中核は久彌さん蒐集による岩崎文庫(約38,000冊)や久彌さんが高価買取したモリソン文庫。和書、洋書に加えアジア全域を網羅。
ミュージアムで目にするのは教科書で目にした書籍や図版、詳しくは覚えてないけどうっすら思い出される書籍の数々。
ミュージアムエリアは詳しい知識がなくても楽しめる文庫の入門編ですが、文庫の本丸は学者系の方々の研究部門。
東洋文庫ミュージアムのチラシは毎回書物スタイル。
なんだかスゴそうな書物がズラーッと並ぶ企画展へ。
通路を挟んで展示室は大きく2室。
イスラム教の聖典。信徒の生活や行動についての規定が記されていて、文字の間に金の絵具で装飾されています。アラビア語のまま読むのが原則だそうです。全く読めません。
東京帝国大学で教授を務めたイギリス人による、英語で書かれている古事記で最初の外国語訳。RECORDES OF ANCIENT MATTERSと訳されています。
キャプションには「日本人より日本語に詳しい英国人」とあります。ツッコミ入れる日本人はいないのか。
東洋文庫には出版年、出版地、言語の異なる東方見聞録が約80種類あるそうです。よく見かけるので東洋文庫といえば東方見聞録のイメージ。
所蔵品の1485年発刊のラテン語訳バージョンは、コロンブスが読んでいたものと同じ版! 今回の展示品でも360年前の本ですが。
ちなみに所蔵の東方見聞録約50種はモリソン文庫のモノ。
史記は中国の歴史書。上の写真は400年前の印刷本ですが、下の参考写真は別の時期に展示されていた史記(国宝)。8mの巻物形式で平安時代の逸品。
巻頭には高山寺の朱印があり、文字の間に赤い点が打たれていますがヲコト点という漢文訓読のためのしるしだそうです。
文選は中国の古ーい文学作品のベスト盤で、知識人必読の書。東洋文庫のモノは注釈を集めて再編集されているので文選集注と呼ばれます。中国では失われた注が記されているのが貴重らしい。キャプションには科挙受験生の必読書とありますが、現代の中国ではどのような扱いなのでしょうか?
神奈川県の称名寺(金沢文庫)と東洋文庫だけの超レアアイテム。
論語は「子曰く」で始まる孔子の言葉を弟子たちがまとめた儒教の入門書、ことわざ満載。そして論語集解は、完全な形で伝わる最古の注釈。
文化・文明の原点的な書物がテンコ盛りの東洋文庫。脳ミソが疲れた方には一息入れられるエリアが別棟に設けられています。庭を挟んだ向こう側にあるレストラン。いつもけっこう賑わっている印象。
併設されたレストラン(オリエント・カフェ)は、彌之助さんが出資、久彌さんが経営に加わった小岩井農場による運営。
入館しなくてもお茶と食事だけの利用も可能。
モリソン書庫
ココをスルーするわけにはいかない、多くの入館者の撮影スポット。
モリソン書庫は、ジョージ・アーネスト・モリソン(1862-1920)が収集した約24,000冊の書棚。最近は映えを意識してかダミー書棚も散見しますが、モリソン書庫は価値の高い書籍がズラリと並ぶリアルな書棚。
モリソンさんはオーストラリア出身のジャーナリスト。伝統的な知識体系と自ら足を運び自らゲットした知見を体系化した人。
ロンドンタイムズの特派員を務め、北京駐在は20年に及んでいます。中華民国総統府の顧問も務めました(ただし顧問になると政府から情報が遮断されるようになりストレスフルな環境に。それでもへこたれず)。
義和団事件、日露戦争、辛亥革命をリアルに経験した人。
彼のコレクションを久彌さんは35,000ポンドで一括購入!
中国からの文庫の移動は、嫁入り道具のように丁重に運搬されたそうです。
本棚の一部には展示スペースもあり(写真はコルディエ文庫の展示期)。
コルディエ文庫の背表紙には「高」の刻印があります。コルディエの中国名高迪愛から。コロンブス伝の著者ヘンリー・ハリスはパリ生まれ、アメリカで教育を受けた弁護士。いかにも洋書な装丁。
【コルディエ文庫】
アンリ・コルディエ(1849-1925)はフランス近代東洋学の祖。コルディエ没後に偶然フランスに滞在していた美術の殿様細川護立(永青文庫創設者:1883-1970)が5,000冊のコルディエ蔵書を一括購入。
コルディエ文庫は長い間、慶應義塾大学斯道文庫に寄託されていましたが、2020年から東洋文庫へ。
ちなみに護立さんは東洋文庫の7代理事長を務めた人。
コルディエさんはモリソンさんと同時代の人。モリソンさんは「中国書誌(コルディエ著)」を常時参照、コルディエの著作を70点蔵書していたそうです。めぐりめぐって東洋文庫でモリソン文庫にコルディエ文庫は合流。
G・E・モリソンの旅
こちらはショップで見つけた東洋文庫発行の情報誌?的な東洋見聞録(東方ではない)のモリソン特集号。ちょうどいいボリュームでモリソンさんを知るには最適(発行年不明。たぶん絶版:ISBN付)。
モリソンさんは医学博士を持つ冒険家でもありました。
1880年に18才でオーストラリアのジーロングからアデレードの1,500kmを46日の徒歩旅行達成(新聞社に寄稿)。
1882年にはノーマントンからメルボルンの3,200kmを123日かけて、オーストラリア単独縦断成功。
1894年には上海-重慶-ラングーン(ミャンマー)を100日で踏破(徒歩&馬)(「中国のオーストラリア人」として出版)。
また7度の来日歴があり伊藤博文、加藤高明(妻は彌太郎の娘)、徳富蘇峰らと会談。さらには明治天皇にも拝謁。
コレクションの為には、喜んで生活を削る系のコレクター気質の人だったようです。モリソン日記には、結婚して自分の為だけにお金を使えなくなったので「この趣味は分不相応だ。早く蔵書を売って自由になりたい」とあるそうです。タイミングよく久彌さんにコレクションを売却。
最も興味を引いたのは学芸員さんの再現レポート。オーストラリア縦断旅の装備(モリソンさんが母へあてた手紙に記述)を現代の装備での再現ネタ。
着替えや歯ブラシ、湯沸かし&小鍋と旅の必須アイテムに加え、毛布!や油布(テントの代わり)にパジャマ(必要か?)、そして本2・3冊といった品々を学芸員さん手持ちの道具により再現。
注目すべきはその総重量。現代品は当時品より軽量化が進んでいますが、それでも総重量は13kg。当時の材料に置換すれば10~15kgは増えるのではと推測しています。毎日背負うモノなので、重量を気にするのは登山と同じ視点です(トランクをゴロゴロというわけにはいかない)。
著者は東洋文庫登山部学芸員という肩書(そもそも東洋文庫に登山部があるのが驚き)。モリソンさんのケタ違いな基礎体力やメンタルタフネスの一端を考証。面白いのは学芸員さんの斜めすぎる視点ですけど。
モリソン書庫の見た目のインパクトに来館者は驚かされますが、主役は長い間大切に保存されてきた見た目は地味な書物たち。
何度か足を運ぶうちにこんなものがココに!的な発見に気付くようになってくると、次の企画展が気になる東洋文庫ミュージアムです。
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