なにかが見えてる人 【小松美羽展 岡本太郎に挑む-霊性とマンダラ】岡本太郎美術館 神奈川県川崎市多摩区
アバンギャルドは前衛とも訳されますが、アートの世界において使われる場合には取っ付きにくい印象を持ってしまうワード。時代の先端を走っている〇〇とか異端の〇〇というような形容も。良し悪しは別にして、既存の権威に対して優位に立てる1つの方法論でしょう。
ミュージアムにおけるアバンギャルド作品を避けているワケではありませんが、シンプルにキレイとかカッコイイとか感じるコトが少ないので、見る機会はそれほど増えません。ただし、伝統美術と融合もしくは延長線上にある展示であれば見に行くキッカケとなります。少し前の2022年の記録です。
今回の展示がなければおそらく足を運んでいなかったであろう美術館は、神奈川県川崎市の生田緑地にあります。自然豊かな丘陵地帯に、美術館のほか日本民家園や伝統工芸館等の文化施設が集まっています。
川崎市岡本太郎美術館
神奈川県川崎市多摩区枡形7-1-5
岡本太郎美術館は1999年に開館の市立美術館、設計は久米設計。
岡本太郎から寄贈された1800点弱の作品を展示・収蔵。
メタセコイア(アケボノスギ)は生ける化石植物として有名らしい。
ややパワースポット的な雰囲気。
岡本太郎(1911-1996)は、芸術は爆発だ!のアバンギャルドな人。
知名度はかなり高い人とは思われますが、個人的には大阪の太陽の塔しか知らないレベル。
2020年ごろ流行り病の緊急事態宣言下で、大阪の警戒基準を視覚化するために赤くライトアップされた太陽の塔はかなり不気味でした。多くの方が指摘されていましたが、まさにリアル使徒襲来、50年後のパターンブルー。
常設展は岡本太郎作ですと言われれば、「そうなんですね」と思えますが、個人的にはよく分からない作品が並びます。
この前衛芸術を理解できるだけのキャパシティーが、自分には全くないのが申し訳ない。ただ分からないものを分かった風には書けません。
たろうさんが言うことはけっこう普通。
そして特別展。
小松美羽という人
小松美羽(1984- )は長野県埴科郡坂城町出身の現代美術家で、普通の人には見えないものが見えている人。
狛犬(山犬、オオカミ)をモチーフにした作品が目立ちます(小松さんは神獣と呼んでいます)。作品制作の源泉はスピリチュアル系にあるようですが、坂城町という環境で育った影響が大きかったそうです。例えば妹さんと一緒に歩いていても、小松さんには山犬さまが見えているのに妹さんには見えていなかったりとか。
坂城町は長野県の千曲市と上田市の間にある町です。歴史好きには、戦国時代に若き日の武田信玄(1521-1573)の前にドーンと立ちはだかった国人村上義清(1501-1573)の勢力圏。
以前、坂城町の歴史資料館を訪れた時に、スタッフの方から「熊がいるみたいだから城跡には行かない方がいいよ」とアドバイスされるような山間の町でした。ニホンオオカミが生存しているかもと思える雰囲気。
小松さんは白装束でのライブペイントが知られています。本人曰くご神事。目に見えない世界とこの世をつなぐ人(依代)的な役割を担い、絵を描くのはいわゆるなにかが降りてきている状態。また日本人らしく宗教や神・仏にはこだわらないプリミティブな神仏習合的視点。
そして作品は出雲大社、身延山久遠寺、善光寺、東寺に奉納されています。
ただアーティストを売り出すための方法論なのかもしれませんが、パフォーマンス的な活動は、作品の本質から遊離するようでちょっとモヤモヤ。
実はかなり前の企画展にも足を運んでいます。
なんともグロい絵というのが率直な印象で、思い起こしたのは楳図かずお。
当時の会場には小松さんのお姿も。印象はフツーの方でしたが、白装束に身を包んでいました。その頃からテーマ・スタイルは一貫されてます。
では企画展へ
入口に設置されていた太陽の鐘(太郎作:1966年)と伺候する山犬様 招き(小松作:2018)。
若い頃のグロ系からはじまり地元狛犬系へ。
混沌(岡本太郎:1962年)と黒曜石ー透明なる渾沌(小松美羽:2022年)。太郎さんと小松さんには根っこの部分に同じモノを感じます。太郎さんの混沌(中央)は怨念が物質化したような不気味さ。
ネクストマンダラ 大調和は2023年に東寺(京都市南区)へ奉納されています。東寺で知られているのは空海(弘法大師)の羯磨曼荼羅(立体曼荼羅:国宝)。曼荼羅は仏の宇宙を視覚化したモノですが、空海さんの彫刻で構成された曼荼羅と比較するとシンプルな表現。
三次元の狛犬たち
小松作品のキッカケになったのがこの獅子。
あーっ 柿右衛門! と直感(色遣い)。
キャプションには有田焼とだけ。柿右衛門窯かは不明。絵付けが小松さんでしょうか。小松さんと15代柿右衛門さんの対談はなにかで見た気がしますが・・・
そして天地の守護獣は大英博物館に所蔵されています。展示は同型作品。
こちらは宇宙吠え獅子よりも邪悪感が漂います。黒いユニコーン的な。
山犬様シリーズはアクリル製。色彩が現実離れしたポップな方向へ。
やや変態が進んだようにも。
論考が難解な図録。アチラの世界に踏み込むのは躊躇します。
太郎ワールドと小松ワールドの相性は良いのかもしれません。
ただ今回の展示のように見えないとされるモノをカタチとして具象化されても、作家さんの主張を素直に受け止めるのはなかなかむずかしい。
見えないとされるモノは全く見えないタイプですが、山の神とか精霊的な存在には一定の畏怖はあって否定するほどではありません。それでも理解するとか共感するという境地に達するのはチョットむずかしい世界と実感。