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お城のトビラ

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日本各地のお城を収録。現存天守から復元・復興天守に大名庭園といろいろ
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今だけちょっとズレてる北の現存天守 弘前城 青森県弘前市

日本各地には近世の権力の遺構・お城が残っています。近世城郭には天守という見た目に分かりやすいシンボリックな建築物がありますが、中でも現存天守と呼ばれる12城の歴史的価値は別格です(そもそも天守は必ず建てられたワケではありません)。 現存天守の5城が国宝、7城は重要文化財に指定され、お城ファンには目的地リストの上位ランカー(たぶん)。 現存天守は残念ながら関東・九州にはありません(熊本城には天守クラスの宇土櫓がありますが)。東北には唯一奥羽最北の青森県に鎮座してますが、現在はち

徳川将軍家も新政府も支えた高須四兄弟 海津市歴史民俗資料館 岐阜県海津市

江戸幕府を開いた徳川家康(1543-1616)は、徳川将軍家が絶えないよう御三家のシステムを整えています。御三家は将軍職を継ぐコトができ、徳川の名乗りが許された別格の大名家。 その筆頭が家康の9男徳川義直(1601-1650)を祖とする尾張徳川家63万石。義直の思想により勤王をモットーとした藩。その尾張家にも保険となる支藩がありました。今回は彼らを紹介するミュージアムの記録です。 尾張徳川家の分家が陣屋(城?)を置いたのは現在の海津市。岐阜県の西南端にあり人口は31,800

風林火山はココから:河内源氏の超名門2 武田氏館 茨城県ひたちなか市

武田氏館といえば、一般的には山梨県甲府市の躑躅ヶ崎館のコトを指すでしょう。全国的知名度は不明ですが、実は茨城県にも武田氏館はこっそり?とあります。しかも御三家・水戸徳川家の居城だった水戸城からは目と鼻の先のトコロに。 時代は平安時代にさかのぼります。そして平安時代のうちに常陸の国から甲斐の国へと旅立っていった武田さん。いろいろあったようです。 武田氏は鎌倉・室町時代には甲斐の守護を務め、戦国時代の主要キャストの1人武田信玄(1521-1573)を輩出しています。 信玄さんは

常陸からやって来た河内源氏の超名門 【久保田城・佐竹史料館・如斯亭】 秋田県秋田市

戦国時代の東北地方には、鎌倉以来の古い家(安東氏、南部氏、伊達氏、蘆名氏、葛西氏、相馬氏など)や室町幕府から送り込まれた足利系の家(大崎氏、最上氏、畠山氏)が割拠し、かつ複雑な婚姻関係により地域バランスを保っていました。 伊達政宗(1567-1636)の出現により南奥羽のパワーバランスは変化しますが、豊臣秀吉(1537-1598)による奥州仕置によって各大名・国人衆の領地はほぼ確定します。 一部中央から封じられた豊臣大名もいましたが、旧領安堵された大名は多く、彼らは改易された

独眼竜・北のおさえ 金ケ崎要害歴史館【伊達家のトビラ4】 岩手県胆沢郡金ケ崎町

東北の雄伊達政宗(1567-1636)の築いた仙台藩は、東北地方最大62万石の大藩でした。そして仙台市は現在も東北の中心地。 伊達家はその広大な藩領統治のために、家臣たちに領域支配を認めるという戦国時代と変わらない統治方法(一種の丸投げ?)を用いています。 伊達家の家臣はカテゴリーによる階級設定がされています。上級家臣の一門や一家には大名クラス(2万石程度)の大身もいて、そういう家臣の治めた地域には多くの資料が残っていて、伊達家の歴史を物語ります。 さすがに金ケ崎要害のような

阿波おどりの殿さま 徳島城博物館&表御殿庭園 徳島県徳島市

四国はお城に恵まれた地域です。 江戸時代からの天守が残る現存12天守のうち、丸亀城(香川県丸亀市)、松山城(愛媛県松山市)、宇和島城(愛媛県宇和島市)、高知城(高知県高知市)の4城(すべて重要文化財)。加えて木造の復元天守を持つ大洲城(愛媛県大洲市:現存櫓も残る)もあります。 そして歴史好き目線で見てみると四国の県庁所在地は、かつての織豊大名が町の基礎を築いた町。四国の人々には東海地方からやって来た進駐軍。 高松の生駒氏、松山の加藤氏、高知の山内氏、そして徳島の蜂須賀氏。 い

島津四兄弟 末弟の居城 佐土原歴史資料館と天昌寺跡 宮崎県宮崎市

超有名な観光地でもなく、SNS映えする写真スポットという訳でもないと言えばやや失礼かもしれません。田舎へ行くと「人がやさしい」というフレーズがフツーに使われますが、それは旅行者に対してであって住んでみると地域独特のルール等ややこしいコトもあります。 一方、相手で区別しない子供とのやり取りや、きれいに掃除された路地や公共スペースから受ける印象は、その地域をそのまま表現しています。 小さな城下町の良いトコロは、ヨソモノがその濃さや気風に気が付きやすい点でしょう。 島津家は九州最大

キリシタンの島のお城と磁器 富岡城・高浜焼:上田家庄屋屋敷 熊本県苓北町・天草市

バスや鉄道の路線廃止や減便がニュースとなってきているここ数年。理由は人口減少や利用頻度の減少等、そうだよねーとごもっともなハナシ。 一方、交通の便があまりよろしくないトコロにもノコノコ出かけていく自分(スケジュールの自由度優先からほぼ自走)。好んでそういう場所を選んでいる訳ではありませんが、見たいモノやコトがあればスルー出来ません。 そして「こんなトコロもう来ないだろうな」と思った場所に限って、意外と再び訪れるという妙な法則があるような、ないような。 今回は九州の大きな島にあ

龍造寺から鍋島35万石へ 佐賀城 高伝寺 徴古館 佐賀県佐賀市

江戸時代の九州には国主クラスの大名が数家ありましたが、九州の地生えは薩摩島津と肥前鍋島の2家。どちらも明治維新の主要キャストです。共通するのは交易を通して海外の知見をいち早く取り入れていた点。現代では福岡あたりがアジアの玄関口をアピール(博多は古くからの大陸系の窓口)。 またキリスト教伝来は九州が起点ですが、受け入れた大名家たち(豊後大友や肥前大村や有馬)とは違って、島津と鍋島(龍造寺)はキリスト教には消極的だった点も同じです。 今回は主家から権力移譲され大名化した珍しい成り

ソフトパワーで城主の座についたさんじゅーろー 備中松山城 頼久寺 岡山県高梁市

日本の各地にある多くのお城。なかでも現存天守と呼ばれる江戸期以前に建てられた天守を擁するお城は全国に12城、いずれも国宝か重要文化財指定です。お城好きが最初に目指すべき分かりやすい目標。 国宝の姫路、松本、松江、彦根、犬山の5城(市の人口数順)は知名度も充分でしょう。そして重要文化財は松山、高知、弘前、丸亀、丸岡、宇和島、備中松山の7城。丸岡と備中松山は、城名と所在地の市名が違うので知名度にはややキビシイかもしれません(ドコそれ的な)。ちなみに丸岡城は福井県坂井市にあるお仙泣

龍と虎 武田氏館跡【武田神社:伊東忠太2】 山梨県甲府市

前回は米沢の上杉家のお話でしたが、上杉神社の神様となった越後の龍こと上杉謙信の地元は、越後春日山(新潟県上越市)。次世代が奥羽に移封されてしまったので、越後に残る上杉氏(長尾氏)の足跡は限られています。 一方、龍の好敵手筆頭は、甲斐の虎こと武田信玄。信玄が信濃に進出したことにより、春日山城を圧迫されるコトになった謙信にとってはとってもメーワクなヤツでしかありません。でも甲斐の国においては、武田家滅亡後もなぜか我らが殿さまは武田家。視点を変えるとそのヒトやモノの価値が変わるコト

伊達から上杉へ 米沢城跡と上杉神社【伊東忠太1】 山形県米沢市

長いこと西日本をベースにしていた自分にとって、文字通り未開の地だった東北。ちょっと昔の話になりますが、初めてその地に踏み入ったのが山形県の米沢。翌日は福島まで戻って仙台へ。戦国時代に興味を持つ人にとっては、避けて通るコトのできない鉄板エリア(多分)。 あちこちでよく分からない呪文のような言葉をかけられ、お土産屋に貼られた方言番付で呪文「おしょうしな」の意味を知った米沢。鉄道車両はボタンを押してドアの開閉をするコトを知ったのも米沢(雪国では常識?)。 おしょうしな米沢。 以降

黒田家と松永耳庵と現代アート 福岡市美術館【前川國男3】 福岡市中央区

そういえばあそこにあるなと気付いていても、なかなか行かないことが多いのが公立の美術館。一方、博物館や資料館はとりあえず行ってみようかなとなります。興味の対象とオーバーラップする部分はあるものの、ややズレがあるからでしょうか。 ところが時間が空いたのでちょっと寄ってみたりすると、急に視界が開けたりします。福岡でのコト。   福岡市は人口が1,645,000人と九州最大の都市です。古くからアジアへの玄関口として機能し、権力者にとっては貿易の権限をめぐり、重要拠点だった博多は争奪

西の伊達 宇和島城・伊達博物館・天赦園【伊達家のトビラ2】 愛媛県宇和島市

土佐山内家・高知編で、古来土佐へのアクセスの難易度に触れました。加えて四国の西側もまたアクセスがあまり良いとは言えない地域(ネガティブな話ではありません)。ですが愛媛から高知を繋ぐ国道56号線沿いには大洲、宇和島、宿毛、四万十と雰囲気の良い町がズラリと並びます。いずれも長い歴史を実感できるトコロです。 その中で伊予の国(愛媛県)、宇和島のかつてのお殿様は伊達家。「伊達家って東北・仙台じゃないの?」と思う人は少なくないでしょう(色々あったんです)。おまけに天守閣がなかった本家・