小説家になりたい僕から小説が離れていった理由
とある友達が気付かせてくれた、小説が僕から離れていった理由を書いてみようと思う。僕個人に起こった、しょうもない勘違いの話である。
今思えば小学校の頃から、僕は小説家になりたかった。少し複雑な家庭環境のせいでひねくれた成長をした僕は、小学校の頃から夢枕獏や菊地秀行といった小説家に憧れ、あのバイオレンスで肉感的な小説をよく読んでいた。その一方で香月日輪や田中芳樹、隆慶一郎といった人の道や人の面白さを説く小説も読んでいたので、案外ヒトという生き物と、それにまつわる不思議に惹かれていただけかもしれない。
表現というものも好きだった。国語の音読を当てられるのを心待ちにしていたし、文化発表会での演劇も、嫌そうな態度を取りながらも、誰よりも役ドコロである人間に感情移入しようとしていた。
そんなこんなで、僕の表現は、誰かに影響を与え、反響を呼ぶものだということを信じて疑わなかった。疑うことなど微塵も考えていなかった。
高校生になって、理系の道に進むことを選択し(当時、自分は科学者になるものだと信じ込んでいた)、数学の厳密さや理論展開に触れたことで、自分の天職は理系の分野にはなく、むしろ文系の文化人類学や歴史学といった分野にあるのではないかと自分を疑い始めた。小説家に対する憧れを自覚し、小説を書き始めたのもこの頃である。
そうして、初めての小説を投稿した。「家族とは?」という題名の、童話ジャンルの小説である。投稿サイトのイベントに寄せた、当時の自分渾身の一作。(試しにリンク機能を使ってみたよ! 興味があれば読んでほしい。総じて1万字弱の文量になります。処女作なので読みにくいけどネ……)
どこまでが自分の経験でどこからが状況設定に合わせた創作かはあえて語らない。作品に対する解説を僕は好まないし、僕自身この作品のことが好きだからである。僕の中で、この作品は間違いなく完成してしまっている。余計な手は入れたくない。
少し潜れば分かる通り、この作品に対する反響は感想が1件だけだった。それ以外、何の反響も存在しなかった。
もう読者諸賢はお分かりだろうと思う。当然の結末であるこの結果に、僕は納得ができなかった。結果の原因を自分以外に求め、長い長い迷走を始めたのである。
読者がいないのは僕の考えを受け止められる人がいないせいだ。
反響がないのは読者にとって読みづらいせいだ。
人気のテーマを集め、僕が書きたい僕の世界を練り込まなくては。
そうして僕の小説は、僕の身体から離れていった。仮定された空想読者のペルソナに向けて、仮定されたキャラクターたちが、仮定されたストーリーをたどっていく。誰の物ともつかない、宙ぶらりんな駄作が積み上がっていった。賽の河原の石積みのような、実りのない努力。その果てしない徒労感からか、執筆もなかなかはかどらなくなっていった。有り体に言って疲れてしまった。
それでも一度目覚めた小説家への夢は消えてくれない。すべての経験を創作のタネに化かそうと、明治の文筆家たちのように、身を持ち崩すような選択を続けていった。
それでもタネは芽吹かない。
当然である。作品を出すスパンは長い。長編ものは続かない。さりとて短編は趣旨がブレて飽和する。本当に、地獄のような7年間だった。
来年僕が何をしているのか、もう今の僕には予測はつかない。それでも、小説だけは書こうと、もがいていることは分かる。
僕は小説を書こうとして、読者の反響を求める余り、僕自身から小説を切り離してしまった。僕自身の体感から小説が生まれるということを知っていながらも、僕自身の存在を薄め、仮想の読者に執筆を委ねようとした。
それこそが、小説が僕から離れていった理由。
これから、私小説を書いていこうと思う。プロットを作らないこともあるかもしれない。私小説じゃなくエッセイになってしまうこともあるだろうと思う。それでも、なにも書かないよりはマシだから。宙ぶらりんな駄作を積み上げるよりはマシだから。私小説だと言い張って、誰に読まれることも考えず、自分のことを書いていこうと思う。
ここをそういう場所とする。
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