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5. YouTuberは本当はやりたくなかった。
瀬戸内サニー株式会社の創業5周年の社史「#瀬戸内サニーのヒストリエ」。5本目となる今日の記事は、西日本豪雨のプロジェクトを終えての2年目。メディア事業のPMFを目指して、YouTuberとして「恥を捨てる」ことから始めました。だけども、正直YouTuberはやりたくなかったんです。
YouTuberは本当はやりたくなかった
視聴者・ファンの子たちに誤解がないように伝えると、いまではYouTuberという仕事は本当に大好きな仕事です。若い世代の子たちと一緒に動画を撮ったり、お話をしたりすると、その心の純粋さや元気さからパワーをもらっています。
彼ら彼女らからのSNSで届く応援メッセージのおかげで頑張ろうと思える。そして、自分自身もこの子たちの一つの心の支えになるような存在になれていることを今では非常に嬉しく思います。また、クリエイターとしても成長させてもらいました。
一方で、マジで、マジで、マジで、始めた当初はYouTuberはやりたくなかったです。だって冷静に考えて、黄色のタイツ履いて、街中で若い子たちに黒歴史聞いてるんですよ? 普通にヤバいやつじゃないですか?笑
一番最初、瓦町駅で女子高生に話しかけて「何こいつキモい」なんて言われたこともありました。真夜中のファミレスで、関わってくれてる地域の大人の人たちに相談をしながら、「マジでYouTuberなんてやりたくないっすよ。辛いです。」なんて泣いたこともありました。ただ、インターンも飛んじゃったし、もう自分がやるしかなかったんです。でもこの下積みが自分の強さになりました。
会いに行けるYouTuber戦略
時流に乗って成長する。地方で勝つには「YouTuber」しかありませんでした。全国と地方のメディア業界をポジショニングマップで見たときに、「地方(香川)×若者」もうそこしかブルーオーシャンは残っていませんでした。
スタートアップなら、いかに最初は小さくマーケットシェアを獲得(PMF)して、ニッチトップを目指し、そのあとに拡大期に入るか。まずは、香川県のZ世代に愛されるサービスを目指そうとしました。
全国系だと「東海オンエア」や「釣りよか」などの地方を拠点としたYouTuberがいますが、幸いにも香川県にはいません。また、瀬戸内地域、特に香川県においても、「香川県のYouTuber=〇〇」のマインドシェアもまだありませんでした。ここしかない。そう思って飛び込みました。
そして、2019年、いま勝てる戦略を考えようと思いついたのが、「会いに行けるYouTuber戦略」でした。秋元康の「会いに行けるアイドル戦略」から着想を得えました。そして、戦略の本質は「戦いを略す」ことです。
なので、東京のYouTuberといかに戦わないかが一番重要でした。そのために、たとえ1日だけヒカキンや他のトップYouTuberが来ても、364日勝てればいい。そう思って、圧倒的に「会える」ことを大切にしました。インターネットの会社だけど、圧倒的に最初はリアルにこだわりました。
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放課後はひたすら街に出る
放課後はひたすら街に出て、撮影したり、高校生の子たちと話をして仲良くなりました。そうするとインスタのストーリーで「YouTuber頑張ってるからみんなチャンネル登録してあげて!」なんて拡散してくれる子たちがちょっとずつ増えていって。
ステッカーも作ったりすると、それもみんなSNSで拡散してくれて、本当にありがたかったです。圧倒的にリアルにこだわったからこそ、応援してくれることにも繋がる。そして何よりも関係性を大切にしました。
というのも、東京だとチャンネル登録者数が数百万とかありえますが、香川県だと人口がそもそも100万人で、高校生の人数は2.5万人。(大学生の数は1万人弱で、大人はテレビ世代なので最初からアプローチは考えていませんでした。また、全国系でやるには先行者利益がなさすぎると思って、戦略からは捨てました。)
じゃあ、高校生2.5万人のうち、YouTubeを観るのはおそらく半分の1.25万人。そのうちのチャンネル登録をする習慣を持っているのはさらに半分の6,000人程度。もちろん新陳代謝があって高校生の数は増えていくのですが、その6,000人に圧倒的に視聴者になっていただくのが大切だと考えました。ただ実際には、高校生以外の10代、20代にも見てもらえるようなある程度幅広い動画を目指していたので、まずは10,000人を初期目標にしました。
また、もともと広告マーケティングの業界にいて思っていたのは、インフルエンサーの本質は「エンゲージメント」と「コミュニティ」だと思っていました。
つまり、うちに対して高い関与度をもっと関わってくれているファンの子をどれだけ増やすか、加えて、いわゆるコミュニティ的な機能を持っているかどうか。地方でやるからこそマス系のYouTuber的な消費のされ方をせずに、関係性を構築していきながらサービスを浸透さえていけると思っていました。
カッコつけたこと言ってますが、やったこととしては、文化祭で認知度を上げようと高校生の視聴者の子に協力をしてもらって親族扱いにして文化祭に入れてもらったり、受験生の会場でお菓子と一緒に漫画を配ったりして学校からクレームの連絡が来たり、撮影をしてたら不審者扱いで母校の大学生からクレームが入り出禁になったり、警察から職質されることなんてよくある事でした。おかげで、香川の校長界隈の中で僕の名前が出たり、香川の警察官たちが僕のことを覚えてくれるようになりました。
もちろんクレームが来たらその時は誠心誠意を持って謝罪をしていたのですが、僕もこれで食べていかないといけないので、正直そんなことでくじけることは一度もありませんでした。というかくじけてる暇はありませんでした。
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会社の価値観になった「先義後利」
一方で、営業売上的な側面でいうと、ありがたいことに1年目に実施した自主企画の西日本豪雨プロジェクトを知った地元企業の皆様から、デジタルマーケティング支援に関するお問い合わせや相談をいただくようになりました。
そして、ラジオやイベントに呼んでいただくことが多く、それをきっかけに企業の方からお声がけを頂き、ご提案をして受注。こういう事業をやっていると大手メディアの人たちの中には敵対心を持つ方が多い印象ですが、メディアの記者やディレクターの皆さんは一緒に業界を盛り上げる仲間として迎い入れてくださりました。
お取引先の中でも、香川県でスキンケア等のEC事業を手がける地元会社様には本当にお世話になりました。社長も僕と同じ香川大学教育学部の出身で、普段お取り組みをしているのも東京の一流のインターネット企業や広告代理店。
その中で、弊社にも興味を持っていただき、先方のオフィスにご提案でお伺いすると、「香川県で東京みたいな打ち合わせができる、御社のようなインターネットの会社があるとは思ってもいませんでした」という言葉を頂きました。本当に嬉しかったです。
はじめてのTHEクリエイターの動画編集者
また、2年目の年末頃に同じコワーキングスペースを利用してると、「僕の友達が東京のYouTuberグループで編集やってて、でもこっち帰ってくるって言ってるんですけど紹介しましょうか?」と言ってくれたエンジニアの子がいました。
どこのYouTuberグループかと聞いたら、僕も何度も観たことがある200万人規模のグループでした。一時期はヒカキンさんを超えるほどの勢いがあるグループ。そこの編集者が帰ってくるならぜひ会いたいと言い紹介をしてもらい、岡山児島のコメダ珈琲店で会いました。その日は1時間の予定が気づいたら2時間以上経っていました。
それまで孤独に戦っていたので、そのとき初めてYouTuberの裏側トークが地方でもできたことに感動したのを今でも覚えています。「動画の編集ってこういう視点でやるべきなのか!」「サムネってそういう視点なのか!」「あのYouTuberってそういう視点で動画を作ってるのか!」
そこからうちの動画の編集もお願いして、僕自身も動画の編集を一緒にやっていってドンドン動画のクオリティも伸びていきました。昼夜逆転タイプだったので、「アメリカ支社」って彼のことを時々呼んでいました。THEクリエイターでした(笑)
でも僕もいわゆる社会人タイプなので、組織として同じような人間よりも、THEクリエイターのようなタイプがいる方が面白いなあと思って、彼にはまずは業務委託として入ってもらいました。(今では正社員として活躍してくれています)
ただ、創業3年目に入り、新しくインターンの子も入って順調にチャンネル登録者数も伸びている中、世界中を襲った歴史に残る出来事が次は発生します。新型コロナウイルスです。続きます。
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創業5年企画 #瀬戸内サニーのヒストリエ
1.「時代は東京じゃなくなる」 という思い込みで香川で起業。
2. 最初の仲間集め。旗を掲げ続ける。
3. 瀬戸内版AbemaTVは失敗。
4. 西日本豪雨とカモンベイビー西日本。
5. 再出発。YouTuberは本当はやりたくなかった。
創業前のストーリーはこちら👇
出航までの物語 #瀬戸内サニーのはじまりのはじまり
1.香川大学教育学部
2.ニュージーランドへ
3.タイ王国へ
4.二年休学と震災。カリフォルニア留学。
5.Twitterでの出会いとシリコンバレー
6.東京シェアハウスと長期インターン
7.「おかえり」という居場所と再脱藩
8.トライバルメディハウス
9.BuzzFeed Japan
10.会社設立準備と出航