【日記】2024.08.20(火)|惰眠を貪り、現実逃避に走り、自己嫌悪に陥る
過眠
目覚ましアラームの4時間後に目が覚めた。ココ最近で言うと、圧倒的にワースト記録だ。というか、ココしばらくで考えても、ワースト記録だろう。ていうか、過去最長・・・、いや、それはどうだろう。さすがに誇張し過ぎか。「二度寝、三度寝、四度寝」とか書いてる日も、過去にあった気もするし。
まぁ、この際、ワースト記録がどうだこうだ、というのは、どうでもいい。久々に派手にやらかした。それは厳然たる事実なのだから。
理由は明白だ。夢にうなされた。否、夢を見続けた。もうほとんど思い出せないが、うなされるような夢の内容ではなかった。ただ、とにかく、色んな夢を見続けた。それも、学校にまつわる夢ばかり、見ていた気がする。
今、一つ、思い出した。高校の音楽の先生が夢の中に出て来た。芸能人で例えるならば、マヂカルラブリーの、野田クリスタルじゃない方(失礼な言い方だな…。)と、良く似ていた。容姿だけじゃなく、雰囲気も良く似ていた。朗らかな感じだった。マスコット的な可愛さがあった。生徒からも慕われている印象のある先生だった。
僕も女子高生に慕われる人生を送りたかった。その気持ちも若干あって教職を志していた感も否めない。その勢いのまま、中学社会、高校・地歴公民の教員免許を取得し、教職大学院にまで進学したのは良かったのだが、やはり、よこしまな思いだけでは務まらない職業だったらしい、ドロップアウトし、女っ気のない生活を送るようになって、現在に至る。
「なるほどなぁ・・・。」
よし、じゃあ、今日から、「エッセー」から「日記」に切り替えてみるか。そもそも、エッセー的な記事よりも、日記的な記事を読むことの方が、好きなタイプだし。(じゃあなんでエッセーマンを名乗ってたんや…。)
どうも僕は、他人の人生を覗き見するのが好きな性分らしい。あっ、別に、盗撮癖があるわけじゃないよ。その性癖はあまり持ち合わせていないと思う。主要なアダルトカテゴリーは一通り触れて来たから、多分間違いはないはず。
「note」で他人の日記を読むのがルーティンの一つになってから、外を歩いたり、電車に乗ったりしている時に、「みんな何一つ悩んでいなさそうな表情で過ごしているけど、それぞれに抱えている問題があるんだろうなぁ・・・。」と思うようになった。その方面に思いを巡らせていると、なんでもないのに、なんだか、泣けてくるような気さえしてくる。僕だけか?
いや、尾崎豊も、そうらしい。ホッとした。
・・・僕は既に、三十路を迎えているのに、「十七歳特有の精神状態」みたいな歌詞の様相を呈しているのは、この際、気にしないようにしよう。
ゴマちゃん
目覚ましアラーム4時間後起床をキメた僕は、目が覚めても、ベッドから起き上がる気力が湧いて来なかった。
こういう悪癖が、僕にはある。今回のように、寝坊した時なんかは、度々顔を出す。有り体に言えば「現実逃避」である。本来は、大慌てで、雑事を済ませなければならないにもかかわらず、まるで、何にも追われていなくて、やることが無くて、暇で暇で仕方ない、みたいな生活を送ってしまうのだ。
確か、ラジオか何かで、ウーマンラッシュアワーの村本大輔が、「遅刻した時は、逆に、いつもよりゆっくりとお風呂に入って、いつもよりゆっくりと準備を行なう」なんて話をしていた気がする。それを聞いた僕は「分かる~!!!」と、手を叩いて笑ったものだ。
・・・内容が内容なので、十八番の「知らんけど」で済ませられないな。ちょっと、探してくるわ。
(梨の礫)
すいません。探しても出て来なかったです。僕の幻聴だったか、あるいは、夢の世界による村本大輔だった可能性もあるので、見なかったことにしてください。
僕は、僕の記憶を、甚だ、信用していない。
<閑話休題>
現実逃避に走った僕は、何故だか、『少年アシベ』のゴマちゃんのことを想い出して、無性に懐かしくなって、気が付いたら、「ゴマちゃん」と検索窓に打ち込んでいた。
するとどうだ。4コマ漫画が、出て来る出て来る。こんなの見せられたらベッドから出られるわけないって。可愛い。ゴマちゃん。でもなんだか、かわいそうな気分になる内容の作品も多い気がするぞ。意外とゴマちゃんってアシベ一家からの当たりが強いんだな。もっと、よしよしされてるイメージがあった。とにかく頑張れ。ゴマちゃん。
適当に4コマ漫画を見漁っていて、今はもう、具体的にどんな内容だったか、ほとんど覚えていないのだけど、一つ、衝撃的な回があった。
アシベの父親が、家の中で、Gを見つけて、新聞紙で叩いて退治しようと思って(それも僕は正直やめてほしいのだが…。)、手に取って、ビターンとやったと思ったら、なんと、新聞紙ではなく、ゴマちゃんだった!
ゴマちゃんは、突然、捕まえられて、床に叩き落されたので、当然、泣いた。かわいそう。異変に気付いたアシベの母親は「なにやってるの!」と父親を怒鳴りつける。父親はバツの悪そうな表情を浮かべながら、心の中で、こう呟くのだった。「新聞紙とゴマちゃんを間違えたなんて言ったら余計怒られるなぁ・・・。」と。
ツッコミどころが多くて、正直、キャパオーバーなのだけど、一つだけ、問いたい。「新聞紙と間違えてビターンとしてしまうぐらい、ゴマちゃんは軽いのか?」と。「普通、『アレッ、新聞紙の割に重たいぞ』と思って、掴んだタイミングで、確認しないのか?」と。
「アシベの父親・怪力説」が、この回によって、浮上した格好だ。
ちなみに、「ゴマちゃん」は「ゴマフアザラシの赤ちゃん」とのことだが、この記事によると、「生まれた時の体重は7~8キロ」とのこと。ゴマちゃんが生後どれぐらい経過しているかは定かでは無いが、生まれたタイミングで、7~8キロあるわけだ。とてもじゃないが、新聞紙と間違えて、ビターンと叩いてしまえる重さには思えないのだが・・・。
【結論】アシベの父親、怪力だった。
罪悪感
惰眠を貪(むさぼ)った挙げ句、『少年アシベ』の4コマ漫画に走った僕は、今日という一日をスタートさせる段階で、昼過ぎはおろか、夕方近くになっていた。
この項のタイトルは「罪悪感」と書き記したのだが、もう、その段階で、罪悪感でいっぱいだ。元々、その意味で冠したわけではないのだけど。はからずも、ダブルミーニングのような状態になってしまった。
どうせ、何もせずに、夕方近くになってしまうのなら、「今日は現実逃避を満喫したな~!」と、清々しく、自堕落な生活を謳歌すればいいのに、なまじ、生真面目な気質の僕は、「本当はこの時間帯であれば〇〇と△△と◇◇を済ませていて・・・。」などと、タラレバを考えてしまう悪癖がある。これも良くない。
「意識高い系」という言葉がある。僕に言わせれば、百害あって一利なしだ。無駄に意識だけ高くて、行動が伴わないために、理想と現実が乖離し続け、やがて、自己嫌悪の念に苛まれて、自暴自棄に陥るのが、目に見えているからだ。
今日の僕の一日は、一言でいえば、そんな感じだった。活動をスタートさせても、頭の片隅で、「もしも目覚ましのアラームで目を覚ますことが出来ていれば・・・。」などと思っては、一人、溜め息をついていた。
僕には、後の祭り状態になってから、後悔しはじめる悪癖もある。恋人と別れた時なんてのは、その典型だ。それまで、ロクに振り返ろうともしなかったのに、馴れ初めから破局に至るまで、一つ一つ、事細かに思い出しては、そのたびに、「あの時にああしていれば・・・。」「あの時にこう言っていれば・・・。」などと、タラレバを考え続ける。しばらくはそんな日々が続く。俗っぽい表現をするならば「病み期」みたいな時期を送るハメになる。
<閑話休題>
違う。罪悪感は罪悪感でも、書きたかったのは、その罪悪感ではない。そろそろ、本題に戻そう。分量も分量なので、ね。
先述したように、僕は、夕方近くになるまで、ベッドで、無駄な時間(と書くと『少年アシベ』の作者さんに申し訳ない気もするが…。)を過ごしてから、リビングへと移動した。モーニングルーティンのホットミルクを飲むために、だ。
「モーニング・・・?」といった物言いは受け入れないこととする。
リビングには、母と兄が居たのだが、僕が入るやいなや、「あのさ~」と、兄から声をかけられた。声の掛け方からして、何か、面白いことでもあった様子だ。
だが、僕は、相手の話を制するように、被せて、こう言った。「今日は体調が芳しくない。話をしたい気分じゃない。後にしてくれないか」と。
兄は、あっさりと引き下がってくれた。さすが家族だ。僕のことを、良く分かっている。僕が「嫌だ」と言った時は、「嫌なものは嫌」なのだ。一度言ったら、頑として主張し続けることを、二人(母・兄)は、良く知っているのだ。
僕は、ホットミルクの用意を済ませて、再び、自室へと戻る。そこで、一人の空間になった途端に、強い罪悪感に駆られた。そう。自分都合で、一方的に、家族との会話を遮ったことに対して、である。
確かに僕は、体調は、「芳しい・芳しくない」の二択で言えば、「芳しくない」に分類されるコンディションだったとは思う。それと、活動スタート時刻が大幅に遅れているのもあって、「まずは今日のタスクの中から優先順位を付けないと・・・。」と、内心、焦っていたのも、あったと思う。そこで、「あのさ~」と声が掛かった。言葉を選ばずに言えば、「また新たなタスクを増やさないでくれないか?」と感じたのも、事実だ。
だが、こうして、一人になってから、「会話を拒否して嫌な思いをさせてしまったかな・・・。」などと、罪悪感に駆られて、やるべきことに集中し切れない精神状態になるぐらいであれば、「どないしたん?」と、話を聞いてしまえば良かったのではないか、とも思った。
しかし、これもまた、後の祭りである。逆の立場で考えると、一目瞭然だ。「話をしたい気分じゃない」とハッキリと拒絶された相手から、「さっきは悪かった。何があったんだい?」と言われたら、それはそれで、気味悪く感じるだろう。少なくとも、僕はそう思う。
・・・いや、人によっては、「いやな、〇〇でさ~」と、普通に話を始められる人も、あるかもしれない。ただ、僕自身、無駄に「言行一致」を求めるきらいがあるためか、「YESと言ったらYES、NOと言ったらNO」という、こだわりが以上に強く、一度、こちら側から、会話を拒否してしまった以上、すぐさま翻意する、などというマネは、とてもじゃないが、出来ないのだ。
そう。「逆の立場で考えると」なんて言い回しを用いてみたが、結局のところ、自分の問題なのだ。にもかかわらず、自分のことは棚に上げて、相手の心情を思いやった上で、といった話に持って行こうとした。こんなところも、いけ好かない。
また一つ、醜い部分が、さらけ出された格好だ。
僕に出来ることは、ただ一つ。今後、類似場面に遭遇したら、「話をしたい気分じゃない」と断るのではなく、その場で相手の話に耳を傾ける。結局、それが一番、もっとも効率的だし、精神衛生上で言っても、気が楽、というものだ。
事実、僕は、「いったい兄は、僕に、何の話をしたかったのだろう・・・。」と、未だに、頭の片隅に残ったままだ。さっさと聞いてしまえば、もっとスッキリとした脳の状態で居られたはずなのに。
「機を逸する」とは、こういうことを指すのだろう。まぁ、今回のケースは、自ら機を逸させたのだけれども。それゆえ、今もこうして、罪悪感を抱えているわけだが。
明日、兄に、「昨日は悪かった。何の話をしたかったんだい?」と問うつもりだが、ココで一つ、予想しておこう。兄は、「えっ?何のこと?」と、僕に「あのさ~」と声をかけたこと自体、すっかり忘れてしまっている、と。
僕は、覚えておかないといけないことは、ポンポンと忘れる一方で、あまり思い詰めない方が生き辛さを緩和出来ることは、常に頭の中を駆け回っている、そんな悪癖も有している。
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