#7【夢日記】東京のビルの天井に住むお父さんと娘
噂話や陰口はどこの世界でも百害あって一利なしである
お昼ご飯でも食べようかなとファミレスに立ち寄ると、自分と近い席で井戸端会議が行われていることは多い。
別に話を盗み聞きする気もないのだが、得てしてそういう人の会話は、音量が大きいものだ。聞かまいと思っていても耳に入って来る。僕の思考に割り込んで来る。
そしてまた、そういう人の会話は、「あ〜あ、聞くんじゃなかったな」とガッカリさせられることが多い。
これは偏見になるかもしれないが、場をわきまえて声量を調節する配慮が出来ない人、言い方を変えれば、デリカシー欠けた人は、話の内容もまた、デリカシーに欠けたものになる傾向が、あるのかもしれない。
繰り返すようだが、あくまでも僕の見立てに過ぎない。一個人の意見として受け取って欲しい。ただ、関連性が見られる気はする。それだけの話。
自分のためよりも人のための方が人間って案外頑張れる
「案外」というのがポイントだろう。
便宜上「人のため」という書き方をしたが、結局「自分のため」だったりするものだ。
周りから見れば、世のため人のために汗水たらして頑張ってるように見えたとしても、本人の中では、自分のために頑張っていたりする。そんなことって案外多いもの。
良く言われる表現に置き換えると「〜しなければならない」なのか「〜したい」なのか、この違いになって来るのだろう。
要するに「行動」ではなく「心」で決まるわけだ。だから自分と他人とで認識のズレが起きる。目に見える部分では判断出来ないからそんなことが起きる。
ココは「なんのために?」を明確にすると心のモヤモヤが晴れることが多い。
今自分はなんのためにこの行動を取っているのか。自問自答を重ねる。目的意識をハッキリさせた上で、その行動を続けるのか、それともやめるのかを決める。
いちいち面倒くさいなと感じる人も居るかもしれない。だが、何事も急がば回れだ。騙されたと思って、一度やってみることを僕はオススメしたい。
なぜならば、本当に面倒くさいのは、しゃかりきになって突き進んだ結果、ふと自分の足跡を振り返ってみた時に「なんのために俺は頑張って来たんだろう・・・」と無力感に襲われることだから。
夢の世界の僕が噂話や陰口を叩いてなくて良かったよ
うん。これはホント良かった。「こうありたい」と思える側で良かった。夢の自分の言動から現実の自分が少しばかり自信を持てた心持ちだ。
“我以外皆我師”
僕が大切にしている言葉の一つだ。自分の心掛け次第で、どんな人からも学びを得ることが出来る。ついつい、人で判断してしまいがちな自分を戒めるためにも、事あるごとに思い出すようにしている。
「反面教師」という言葉があるが、僕は「反面教師も立派な教師だ」と自らに言い聞かせている。そうすることで、他人の愚行を嘲笑するのではなく、学びに変えられる。まさに「人のふり見て我がふり直せ」である。
なので、良からぬ言動に触れた際、僕は「『これをしてはいけないな』ということを教えていただきありがとうございました」と、心の中で感謝するようにしている。
ココで一つ断っておきたいのだが、皮肉の意を込めて感謝してはいけない。誠心誠意で感謝の念を持つことが大事。
イメージで言えば「道を踏み外してはいけないよ」「そっちに行ったらダメだよ」などと先導してくれたのだと思えば、正しく感謝しやすくなるんじゃないかと、僕は思う。