2024年4月22日(月)|GV-USB2事件簿
今日は厄日と言わざるを得ない1日になってしまった。どっかの自己啓発本で「今日は厄日だと考えるからドンドン災厄が降りかかってくるように認識する。悪い意味で思考は現実化してしまうのである」的なことが書かれて、さもありなん、と思った僕をもってしても、「今日はさすがに厄日以外の何物でもないやろ…。」とボヤキたくなるぐらいには、ストレスの溜まる1日となってしまった。その点、まだまだ半人前ということか。マイナスと思える出来事からプラスの要素を抽出する能力が未熟なのであろう。今日の経験を糧にもっともっと精進していきたい。
・・・さて、それはともかくとして、具体的に何が起きたんだよ、と言われると、ちょっと話をまとめられるだけの労力が残っていないので、今日の夕方ぐらいに、自身が運営しているユーチューブチャンネルのコミュニティ欄に投稿した文章を転載して、いきさつの説明に代えさせていただきたい。
そう。コイツ(GV-USB2)と格闘し続けていたのだ。正午ぐらいから。予定では、正午〜夕方にかけて、動画を収録して、動画確認・編集作業・投稿作業へと、工程を進めるつもりだったのだが、出鼻を挫かれた格好だ。
白状する。僕は、機械のトラブルに、滅法弱い。「弱い」というのは、機械オンチという意味もあるが、それよりも深刻なのは、機械がトラブルを起こした時に、決まって癇癪を起こしかける、という点にある。
僕は口癖のように「ヒューマンエラーは付きものだ」と言う。言い換えれば、人間のミスには、かなり寛容なスタンスを取っていると思う。自分が犯したミスにだって甘い。「失敗は成功のもとって言ったりするじゃん?」とばかりにケロリとしている。
にもかかわらず、人から機械へと主体が変われば、たちまち、「おいおい、どうしてくれるんだよ、今日動画を撮っておかないと、予約投稿のストックが枯渇しちまうじゃねえかよ・・・」と、気が急いて、気が急いて、仕方なくなるのだ。
思えば、昔からそうだ。一貫して、機械には厳しい。厳しいっていうか、自分都合で物事を捉え過ぎるきらいがある。“自分の思い通りに動いて当たり前”みたいな。もしも僕が機械だったら、こんな人のもとで働きたくないだろうなぁ。あっ、自己嫌悪メーターが、着々と上がっていくような・・・。
コホン。(閑話休題の合図)
まぁ、ともかく、今回は、原因と思われるものを何点かピックアップすることが出来たので、その点は良かった。これも僕は毎回気になるのだ。「なぜこの問題が起きたのか?」と。何かにつけて「なぜ?」と問いたがる癖がある。一歩間違えれば、TikTokで一時期バズった「なあぜなあぜ?」のブームの先駆け的存在になれたかもしれないな。いや、なれない。(反語)
ティックトッカーへの淡い期待はフタをしておくとして、僕は、原因が分からずじまいで終わると、それはもう、ロングスパンで、モヤモヤを抱え続けることになる。そして、類似場面に遭遇した際に、“また原因不明の不具合が起きたらどうしよう”と、フラッシュバック現象にとらわれる感覚に陥る。コレが最も厄介なのだ。
そういう意味で、“原因は○○っぽい。これは設定の問題というよりも買い替えた方が良さそうだぞ”と結論付けられたのは、僕にとっては、不幸中の幸いだった。捨てる神あれば拾う神あり。厄日の中に一掴みの砂金を手にした心持ちになれた。この気持ちのまま眠りにつこう。いい夢見ろよっ!(柳沢慎吾)
【P.S.】
“砂金”ってワードが頭に浮かんできて、ふと、太宰治『正義と微笑』のフレーズを思い出したので、ついでに載せておく。たぶん、教育をかじった人だったら、太宰治好きじゃなくとも、文学好きじゃなくとも、どっかで聞いたことがあるんじゃないかな。ちなみに僕は教職大学院にまで通いながらドロップアウトをかました無法者である。お後がよろしいようで・・・。
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