2023.07.20 木曜日
プロ野球は、前半戦を終えて、オールスターブレイクに入っている。こういう期間は、得てして「後半戦の展望」だとか「Aチーム争い」だとか「優勝争い」などといったテーマにスポットを当てて、プロ野球OBの方々を中心に、有識者の方々が、思い思いのコメントをされるものだ。そして、僕のような野球ファンの人々は、ソレを見て一喜一憂したりだとか、プラスアルファの意見を、自称プロ野球有識者として、追加のコメントを行なったりする。まぁ僕もそんな端くれの一人と言えば、そうなるのかもしれない。
そんな中で、かねて気になっている表現がある。
そして、例に漏れず、今シーズンも気になった。
”勝負所の夏場は暑さとの戦い”
”投手力で勝ち上がっていくチームが有利”
”ドーム球場が本拠地のチームは地の利がある”
おそらく、ある程度、プロ野球に慣れ親しんでいる人からすると「まぁそうだよね」「良く言われるよね」と聞き流すようなコメントだとは思うのだけれど、それと同時に、僕の中で、あるいは、もしかすると、僕のようなカープファンの方々も、かもしれないが、少なくともカープファンの僕は、ある疑問を抱いてしまうのだ。
「カープの選手は蒸し暑い広島の野外球場でプレーしてきているから夏場になってもへばらないんですよ。だから夏に強いですよね。カープは。」
確か、僕の記憶が正しければ、2016~2018年、三連覇の偉業を成し遂げていた頃だったか、試合中、ちょっとしたフリートークがてら、実況の人が、解説者に「カープがこんなに強い要因はなんなんでしょう?」と質問した時に、そんな返答をされる解説者の方が、割と結構、おられたように思われる。
カープの強さの秘訣は「夏のマツダスタジアム(野外球場)」という、過酷な環境で鍛え抜かれて来た「体力・気力」にあるのだと解説者に説明されて、実況の人も「なるほど~!」「やはりドーム球場が本拠地だったりすると、快適な空間に慣れてしまって、野外球場に遠征に行った際、本来の実力を発揮しきれない、そんなことがあったりするわけですね!?」などと、合いの手を入れたりするわけで。
それを受けて、解説者の方は「そうなんですよ。ラクな環境に慣れ切っちゃってますから(笑)」などとブラックジョークを挟んで来たり、あるいは「暑さもそうなんですけど『雨天中止』とかの心配も、ドーム球場だと必要ないでしょう。だから、そういう『アクシデントへの対応』も、野外球場がホームのチームの方が、やっぱり順応性が高いと思いますね」などと、補足説明を加えて来たりする。
そういう話をうかがっていると「体力的にも精神的にもシーズンの疲労が蓄積されてくる夏場においても、本来の力を遺憾なく発揮するためには、野外球場が本拠地といったように『日頃から過酷な環境に身を置いて心身を鍛え抜く』ということが重要なんだな!」と結論付けても、何らおかしくないようにも思われる。
しかし、実際は「夏の暑さでパフォーマンスの低下を懸念する必要のないドーム球場が有利」と言われることの方が圧倒的に多い、と僕は思う。また、先ほど「雨天中止」についても触れたが、これも同様に「野外球場が本拠地の方が雨天中止などでシーズン終盤が過密日程になることも多いので不利と言える」などといった論調も聞かれる。
やはり「逆」なのだ。一方は「アクシデントに順応する能力」という観点から「野外球場が本拠地の方が有利」と説いたかと思えば、もう一方は「シーズン終盤が過密日程になりにくい」という観点から「ドーム球場が本拠地の方が有利」と説いたりする。僕としては「結局、どっちが正しいのよ!」と吠えたくもなるわけで。
あと、過密日程の話が出たので、ついでに触れておくと、一般的に「過密日程はチームにとって不利に働く」という意味合いで語られるケースの方が多いのだけど、もしも、その過密日程の期間を、破竹の勢いで連勝したりすると、うってかわって、真逆の論調が展開されたのを、僕は目の当たりにした経験がある。
「いやあ、途中、中途半端に中抜きしたりだとか、数日試合して、数日休んで、1日だけ試合して、1日だけ休んで、みたいに、試合の日程が飛び飛びだと、こんな連勝街道は起きなかったんじゃないですかねぇ。チームが勢いに乗ってる時に試合が無いと、押せ押せのムードがしぼんじゃうとかね。毎日試合が続くからこそ、選手達も『遮二無二行くぞ!』と、腹を括って連戦に臨めたことが、大型連勝に繋がったわけです。」
もうこうなってくると「何が正解か?」などと論じること自体、野暮なんだなと気付いて来る。そう。人間には「後知恵バイアス」という認知の癖がある。野球界では「結果論」と呼ばれているのが、ソレに近いだろうか。要するに、結果が出た後に「〇〇だから△△になった」だとか「〇〇していれば△△だったのに」などと、もっともらしい理由付けを行い、出た結果への非難批判だったり、戦犯探しをしたりする。人間はそんな習性がある生き物なんだと理解しておくべきだ。
ここまで、ああだこうだと述べて来たが、身も蓋も無いことを言ってしまうと「どんな内容も話半分で聞き流すスキルを身に付けた方が人生は楽しく生きられる」という真理、もとい、少なくとも、隙あらばウンウンと考え込んでしまうきらいのある僕にとっては、真理、と呼べるべき一文が、浮かび上がってくるわけだ。
無論、話半分に聞き流すべき対象は、僕自身も当てはまっている。なので、この文章も、サーッと読み飛ばすぐらいのスタンスで読んだ方が良い。「全否定」を行なうのも「全肯定」を行なうのも良くない。「話半分」と書くと、あまり良い意味合いをイメージしないかもしれないが、要は「ありのまま」という意味合いに近いわけだ。一切の先入観を排して物事にあたる。そういったニュアンスを付与させた上で、僕は「話半分のススメ」を説きたい。