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父との確執をこえ

「父との確執を超えて」

今でこそこうやって2人で過ごしているけれど

小さな頃から、
父に対する思いは複雑なものがあった。

幼い頃の記憶には
大人になるまでひきづっていたイヤな感情もある。

小学2年生の頃

私が薬の錠剤を飲むことができず
何度トライしても喉元を通すことができなかったなか

痺れを切らした父が

私の体を掴み
外に放り出そうとした。

当時の私は、コタツの脚につかまったけれど
コタツごと外に投げ出された記憶がある。

母はすぐに家にあげてくれたけれども
とても怖い記憶として私の深くに長く残っていた。

他にも父の武勇伝のようなやんちゃ話はいっぱいある。

当時の父は母をよく困らせていたように子ども心にモヤモヤしていた。

父へ対しての複雑な気持ちを抱えたまま今に至っている。

それでも、父と完全に離れることなく
ここまで来たのには

小学生の頃の記憶

一緒にキャッチボールをしたり
犬の散歩に行ったりと、

楽しかった記憶も残っているからだろうか。

そんな父との和解は
本当に、ごく最近のこと。

父は、全くそんなこと覚えてもおらず
楽しい記憶しか残っていないよう。

あまりにも屈託のない
悪びれさもない父の姿に

もういいか、と思った。

当時父は商売も難しい時期で
それはそれでとても大変だっただろう。

子どもの頃の私からはみえなかった
父のもう一つの側面、
父なりの苦悩を抱えて生きてきた人生。

子どもにはわからない世界がきっとあったのだろう。

それでも、もちろん
もうコタツごと投げられるのはごめんだけれども。

年相応の物忘れも手伝って
父にとっては

「ケンカひとつもなかった
いい家族だったね」といった話に変換されている。

対の存在であった母がいなくなった今
父がそう思っているのなら

その記憶でもいいのかな、と
素直に思えはじめてきた。

きっと

誰だって子どもを放り出したくないはず
誰だって人を泣かせたくないはず

でも
そうなってしまった背景が当時の父にはあったのかもしれない。

妻が旅立ち
勢いがなくなってしまった父だけれども

ここからまた
親子の新しい時間がはじまるのかもしれない。

父も未完であり、私も未完。

それでいい、それでもいいのかもな。


これからも、よろしくね

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