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旅人になった日

20歳最初のバレンタインの日、初めて旅に出た。

「これが旅だ」なんて、その頃は考えてもいなかったけれど、僕にとっての初めての旅は間違いなくあの時だった。

その頃の僕は、旅なんてワードに全く興味もなく。
ただひたすら何か打ち込めるものを探して毎日を探してた。
このまま過ぎてしまうのかもしれない毎日から少しでも離れたくて、訪れる未来は想像もつかず、過ぎ去った過去は背後に長く横たわっていて、何をしたいのか、何をすればいいのか、何になりたいのか。
そんなことを考えては、答えも出せずにまたいつもと変わらず、酒に身を溺れさせるばかりだった。

何者かにならなきゃ、もうこれ以上は生きていけない気がしてた。



僕が旅人になった日

つい先日、TABIPPOの「僕が旅人になった日」という本を読んだ。


人生を世の中のせいにできるのは、いつまでだろう?


そう書かれた本の帯を読んで買うことを決め、届いたその日に読み終えた。

20人の旅人の「旅人になった日」が詰め込まれた一冊の本。

自分の旅とはまた違った物語の並んだ本を読んでいると、また旅をしたいと思わせてくれる。「旅」と言っても、これだけそれぞれに違った物語があるのだなと何度も感動した。


そういえば、人生を世の中のせいにできるのは、いつまでなんだろうか。
義務教育の終わりまでだろうか、大学の卒業くらいまでなのだろうか。
はたまた、成人式を迎えるまでか。
それとも、人生を世の中のせいにすることなんて、できないのだろうか。

数日前、テレビであいみょんが「with コロナ」という言葉が苦手だとは話していた。そうだな、人生をコロナのせいにできるのは、いつまでだろう。



僕が初めて旅に出た、あの日。

時間のことを気にせず、ただどこか遠くへ行きたかった。どこか遠くへ行けば、だれも僕のことを知らない遠いところへ行けば、まだ見ぬ自分が見つかって、自分の人生は大きく変わると思っていた。

行き先は特に決めず、ありったけの財産をすべて遣おうと思い、7kgのリュックサックに数日分の荷物を詰め込んで旅に出た。

関西空港で出会った女性係員の方が「ハッピーバレンタイン」とチョコレートを配っていて、そこに書かれた国旗がオーストラリアだったから行き先はオーストラリアに決めた。バイト先の先輩も行ってきたと言っていたから気にはなっていたんだと思う。



空港から外に出ると、刺すような日の光が僕の全身を襲ってきた。
はじめて嗅ぐ匂い、独特の空気感、20年という僕のこれまでの人生の中で出会った言葉では表現できそうにない感情がどこか嬉しい。

これだ、こんな感情になりたくて僕はここまで来たんだ、そう思った。


慣れない言語。
懸命に機内で覚えた英単語を並べる。次に使いそうな単語を確認するために何度も立ち止まり、単語帳を開く。また、単語を並べる。

「今夜。泊まれるか。」

それだけの単語を伝えるのに何倍もの時間をかけ、もっと伝わりやすい英単語は他にないのか、表現は、と必死に探す。

「泊まれるわよ」

その言葉を聞くまでに4時間かかり、その間に6つの宿を回った。



1週間が過ぎた頃、ぼんやりと共有スペースのソファで座っていると二人組の若い男性から声をかけられた。
スウェーデンから兄弟でやってきたという二人は18歳と19歳。
宿に併設されたバーへと誘われ、三人で、英単語本から引っ張り出してくる片言の英語と身振り手振りで話をした。

「なんでオーストラリアへ来たの?」
ゆっくりと僕がわかるように話してくれる彼らの気遣いが心地良かった。
これまでの経緯を簡単に話すと彼らは楽しそうに相槌を入れながら聞いてくれた。あなたたちはどうして?僕のほうも気になって聞いてみる。
「世界一周中なんだ」
大学進学か、就職かを考えるためにギャップイヤーとして世界一周をしているという彼らの話がおとぎ話のように聞こえた。


そのあとも彼らと長い間、話し込み店が閉まってからも共有スペースで夜が明けるまで語り合い、伝わるようにと紙とペンを用意して、互いに理解できるまで何度も同じ言葉を繰り返した。

「楽しいのも、楽しくないのも、自分」
世界にはこんなに自分を持った人がいるのか、と衝撃を受けた夜が終わり
僕はようやく次の場所へと目指す決意が固まった。
楽しそうだから次は日本へ行ってみるよ。と言ってくれた彼らを見ていると僕ももっと楽しまなきゃいけないなと思わされた。

彼らも、人生を世の中のせいにしたくなくて旅をしていたのだろうか。



人生は、誰かが変えてくれると思っていた

そこに行きさえすれば、SNSでよく見た絶景が見られると思っていた。
そこに行きさえすれば、ドラマチックな出会いや体験があると思っていた。
そこにいれば、誰かや何かが僕の人生に変化を与えてくれると思っていた。

結局、38日の日数をどこかで過ごした僕の旅は、何も変化を与えてくれなくて、変わったと思っていた自分も考え方も、数日もすれば元通りだった。

旅は僕の人生を変えてくれなかった
探し求めた自分が見つかることもなく、人生も変わらなかった僕にとって、旅はなんの価値もなかったんじゃないかと考えたけれど、どうだったかと聞かれれば「楽しかった」以外の感想の出てこないことが不思議だった。


「僕が旅人になった日」この本の中で、忘れられない文章があった。

旅が自分を変えてくれるだなんて
厚かましいことは思っていない。
旅なんかしなくたって、生きていける。
それでも僕らは旅をする。
前にも後ろにも進めない自分でいるよりも、
今日よりも少しだけ、明日の自分を
好きになるために。

この文章が今でも頭から離れない。
旅に関係なく、そこにいる誰かや、そこにある何かに
僕たちは「どうにかしてもらおう」と思っているのかもしれない。

旅をすれば人生が変わると思っていた。
コロナのせいにすればたいていのことは言い訳になった。環境のせいにすればいつか誰かがこの環境を変えてくれると思っていた。なかなか思い通りにいかず、失敗ばかりの人生を世の中のせいにしてきた。

僕は、いつまで人生を世の中のせいにするのだろう。



僕が代表になった日

旅をしたって、旅を広めたって、何にもならない。

そう思っていた3年前。
まさか自分自身が旅に出るとも、旅を広めるようになるとも考えてもみなかった。

気付いたころには自然が好きになっていて
自分の生まれ育った、祖母や祖父の愛した地元の自然を残したいと漠然と考えるようになっていたから、いつかは地元に帰って自然保護の活動か何かをやるのだろうと思っていた。


旅人になった日。
地元の自然を護るために環境問題を解決したいのだと
考える人がいることを知った。

旅は僕の人生を変えてくれなかったけれど
僕の考え方や視野を広げてくれた。


「過去の自分を救える人を目指しなさい」
とある人に言われたその言葉が僕のこれからを決めた。
3年前、あの時に出会った兄弟のおかげで今の僕がある。
1年前、何度も何度も同じ失敗を繰り返し、何もかも失った。
もしかしたら、こんな僕の人生や経験で救われる人がいるのかもしれない。
過去の自分のような人の少しでも力になってあげたかった。


そんな考えから、始まった。


なぜ、旅を広めるのか。
その質問に心地よい回答を探してきた。
けれども、まだ見つかりそうにない。

ただ、僕は旅を通して出会った人がいて
旅を通して今日よりも少し、明日の自分を好きになった。

旅が広まれば、世界が変わるだなんて思っていないけれど、旅が広まれば、今日よりも少し、明日の自分を好きな人が増えるのではないだろうか。そしたら、きっと素敵だ。


好きなものを好きだと伝える。
最近ハマっていることをハマっているのだと話す。

それくらいの感覚で僕は「旅が好きだ」と言う。
TABIPPOが、TABIPPOの考えが好きだと言う。

好きなものを好きだと言える場所を創ってあげたい。
自分の馬鹿みたいに大きな夢を叶えたいと語り合える。
誰かがいった理想郷を叶えた場所でありたい。


僕が代表になった日。
それは、手の届く人たちを護ると誓った日。

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りゅう
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