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父親とは一体何なのか③

何だか過去を振り返るコーナーみたいに
なってしまいましたがそんな次男ですので、
私の世界との違いによって私はよく怒り、
私自身も葛藤を抱えながら来たように
思います。

愛している。

愛しているが受け入れられないことが
諸々多数。

実際自分なんか大したことを
してるわけではないのに偉そうにしたり
怒ったりそんな子供に対する自分の中の
矛盾を感じて葛藤したり。

ググった記事によると


息子と父親との仮説と題して

①父が子の関心を受け入れると
 子は父との信頼関係を築くことができる。

②父は息子との違いを認め
受け入れることに葛藤を感じている


うんうん。なるほどなるほど。

息子に対して  "怒れる"  と言うことが、
実は自分とは  "違う"  という部分で
怒っている気がします。


自分はこんなに朝しっかり起きて活動しているのに、次男はゆっくり呑気に起きてくる!!
とか、家に一日中居るならわんちゃんの
ペットシートくらい変えておけよ!!とか


自分なら居心地良さファーストで
居てもたっても居られないのに、
そこら辺がなあなあでも楽しそうに
過ごしている次男。


しかし私には出来ないこと。
ゲームという世界での仲間づくりやら、
色んなものを許容するという観点やら、
とにかく楽しんじゃってる姿やらが
彼にはある。


正解は無く、有るのは多様性。


その違いを受け入れてそして認めること。


それが自分自身感じられている時も有れば、
忘れて社会性というものが出て来たり
多様性でなく正解を求めたりして
叱っている時もあります。
叱っているというか怒っている時もあります。


一方で自分と父親との関係はどうだろう。



よく叱られていた気がします。
そんなんじゃ社会に出られないぞと。

野球で食べて行けるのはナン万人に1人だ、
それより勉強した方がいいとか、、

しかし小学校の時、野球のネットを
手作りしてくれたりしたこととか
優しい面もあったり。

反発して大嫌いになって
世界中で1番憎むべき
大嫌いな相手になったりしたこともあります。

それに連動して
社会に馴染めない自分が
そこにはいました。

大人になって、
会社にまともに行くようになって、
結婚して子供を育てて行く中で、
だんだんと認めてくれていった感が
あります。



父から認められるというのは
やっぱり嬉しいです。


きっと父もその中で、
葛藤もあったことでしょう。
今もあるのかもしれません。


父と息子の関係は、そうやって関係を
持ちながら葛藤の中で違いを認めて
受け入れて変わっていく。

そしてそれが社会というものの
第一歩であるのかもしれません。


そしてそれがきっとだんだんと
薄まっていくのかなとも思います。
薄まるというのは、だんだんお互いの手が
離れていくと言った感じで、
健全である気がします。


これからも自分と息子と
そして自分の父親との違いを
受け入れて認め
その上で自分なりの社会との向き合い方を
不器用ながら見せて行きたいと思っています。
(失敗も成功も感情も)


どの姿もきっと子供から見れば
微笑ましいことでしょう。


父、自分、息子。

この世界に3人しか存在しないその関係性。

そう思うと大変貴重であり大切であり
かけがえのない存在で有ることは
間違いありません。


今度の父の日には、何かプレゼントしてみようと思っています。(はじめてかも)




参考までに父親と娘との関係も
述べてありました。


①母が父をどのように見ているかが、
 娘の父親像に強い影響を与えている

②父が娘に対して一定の距離を置きながら
常に関わっているという姿勢を持つと
娘との間に信頼関係を築ける。

父と娘。


息子を持つ父と
娘を持つ父。


私は2人とも息子ですので
分からない世界です。


ガラッとまた景色が変わることでしょう。






ADHDを特別視する事なく
普通の1人の人間で有ると言う視点。


そしてその才能の素晴らしさ。

分かっているけれど、
実際生活している中で起こる
様々な事象による葛藤。

そんな事を悩まれている方々へ読んで頂き
何だか少しでもフッと楽な気持ちに
なって頂いたら嬉しいです。


読んで頂きありがとございます。
では、良い日を!


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