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親が子に自然と与えてしまうもの。そこに気づき私はどうしたいのか?

こんにちは!あ、アロハ!
暑い夏が続いております。
お元気でしょうか。


自分の中にある当たり前を
見直すと見えて来ることがありました。

それから
親のところへ行って
こんな発見があったことを告げました


言葉を自分なりに慎重に選びながら。

私の中にある前提をノートに書き出した。
そこで気づいたことは、私の中の前提は
元を辿ればだいたい親に行き着いた。
そして誰しも親によって前提(当たり前)が
与えられているんじゃないか。
という気づき。

しかしなかなか会話というのは難しく
また私の話しも下手くそなのもあって

どう受け取ったのかは分かりませんが
なんとなーーーく思ってたのと違う
苦い感じになりました笑笑

相手にぶつけてしまうのは亀裂を産む。
相手を変えようとしない。
分かってもらおうとしない。
そう気をつけて話したのですが、、、
あらためて
そんな学びとなりました。

そして世間に合わせるという価値基準
そのことが私を苦しめてきたものの
大きな一つであるなぁという気づき。


私自身を見つめて欲しかった。
世間一般でなく。
私一人という一つの個体が、
どう感じてるのかを
見て欲しかったんだな
という気づき


そして更に学んだのが
親は子どものためを思ってやっている
だからあの時はしょうがなかった
ということについて
子どもがそれを聞いた時の気持ちというもの。

謝ってほしいわけではない。
弁解もいらない。
ただ受け止めてほしい。

むしろ健全な親子の会話がしたいなぁという。

お前のためを思ってやってきた。
この言葉は重くのしかかり
それはヘビーな気持ちになる。

そして私は
自分の息子たちに
お前のためにやってやってる
私はこんなにも頑張ってお前を
育てている

そんなことを投げかけていなかったか
受け取り手のことを考えずに
それを私も与えていたんではなかろうか?

そんなことを自問しました。

そして家に帰り
息子に思いを話しました。

私は私の親に前提について話した時
発見したこと
私のやり方に間違いは無いということは
私は到底言えないなと気づいたこと
私は完璧な親ではないということ
やってやってる感を出してごめんな
ということ。
そして今後
あなた自身を尊重して
一対一の人間同士として接していきたい
ということ。

次男はふむふむと聞いておりました。

どの親も子どもに
沢山の気づきを与えるのでしょう。

ふと立ち止まって
その与えてもらったものを整理して
それを次の世代にどう伝えていくのか

その選択肢は、私に握られている。
改めて親に不恰好なりに伝えてみて
私の中で色んな発見がありました。

そしてそんな気づきを与えてくれた
親に感謝しております。

親の育ってきた時代を考えると
教育も価値観も生活も違う

その親も前の世代の親によって
育てられ生きてきた。

その親もまたその親も、、、


そんな前提があるのですから
一生懸命こんなにも豊かに
育てて頂き感謝しております。

私が息子たちに伝えたい事は
子どもと親の関係は対等であった方が
私はいいなと思っているということ
親だからって正解では無いということ
いつのまにか圧を掛けてきて
ごめんなさいということ。


そんな気づき。


お読みいただきありがとうございます。
よき日をお過ごしください。

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