普通は普通じゃない、そんな普通の基準値
青春って、なんで青い春と書くのか、ふと疑問に思ったたつやです。
今回は、高校生活の”青春”について、お話しようかと思います。
高校生活、普通に恋をして、恋愛して、甘酸っぱい青春時代を過ごす。
そんな『普通』は僕にはありませんでした。
たぶん、僕自身そこまでを求めていなかったというのもあると思います。
ようやく、イジメられない学校生活を手に入れられて、それで僕としては満足してしまっていたんです。
当たり前のように学校に行って、当たり前のように友達と話す。
これが、今までは実現出来ていなかったんです。
そんな『普通』をようやく実感することができたんです。
僕の中の『普通』のレベルが、ようやくその”学校に行って友達と話ができる”レベルになったんです。
だから、世間一般的な高校生の『普通』が僕にとってはまだまだレベルの高いことだったんですよね。
・・・まぁ、モテなかっただけなんですが(笑)
それに、工業高校ということで、ほとんど男子校みたいなものだったことも影響していると思ってます。
(そういうことにしてください)
でも、正直に言うと、モテなかったからとか、ほぼ男子校だったからとかは、あんまり関係なかった気がします。
単純に、僕が人を好きになる土台が出来ていなかったって感覚なんです。
まだまだ他人が怖かったんだと思います。
楽しい高校生活だったけど、今までのすべてを払拭して人を好きになるまで回復できなかったって感じがします。
人と関わるためのリハビリ期間ってニュアンスが近いですね。
だって、ほぼ男子校でも関係なく彼女を作っている人も多くいたし、同性の恋人を作ってる人もいたんです。
自分がその両方にもなれなかったのは、そもそも人を好きになる基礎能力(人を信じるとかそういう感情)が無かったんだろうなって思います。
傷ついた心って、すぐには回復しないもんなんですよ(笑)
高校生活のそういう色恋沙汰な青春はなかったですが、僕は十分”青春”できていたと思ってます。
毎日学校へ行って、友達と楽しく話して、人並みに学校生活を楽しむ。
これって今までの僕からすれば夢のまた夢の話だったので、それだけで本当に満足していたんです。
・・・強がりじゃないですよ?笑
今となっては、もっと楽しめたんじゃないかって思う部分もありますが、今だから思えることですからね。
ということで、本日のまとめです。
高校生活の青春は、恋愛だけじゃありません。
部活動や、勉学、バイトなど、人によって様々です。
僕にとっては、学校に行って友達と話ができるだけでも、それは”青春”でした。
DVやイジメの影響って、こういう部分にもしっかり影響してきます。
でも、その中で自分にとっての『幸せ』がなにかを認識できていれば、それだけで十分だと思います。
世間一般とか、普通とか、そんなの気にする必要は全くありません。
自分の人生、自分が少しでも満足いく選択が出来たり、今までよりもマシな結果になったと感じることができれば、それで100点満点です。
高望みして現状を低く低く見積もるだけだとしんどくなっちゃうので、今の自分が手を伸ばして手に入るものを考えてみましょう。
それが、『幸せを手に入れる』ってことだと僕は思います。
ただの高校生活の青春の話でしたが、そんな幸せ感の共有でした。
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