恩師の死と命の価値観について
実は身近な人の”死”を体験したのは高校生の頃だったたつやです。
今回は、高校時代の恩師が亡くなってしまった時の心情についてお話しようと思います。
家族、友達、親戚、社会的なつながりのある人。
生きていれば、様々な人と出会い、そして別れ、時には今生の別れを経験することもあります。
みなさんは、これまでの人生でどれくらいの”死”に巡り合ってきたでしょうか?
僕は、幸いなことにあまり経験がありません。
(友達が少なく、社会的な繋がりも深く結びついてる人が少ないから?)
そんな僕ですが、初めてそういう経験をしたのが高校生の頃だったんです。
高校2年の夏、厳しいけどすごく筋が通っていて、色々と気にかけてくれていた恩師が亡くなりました。
連絡が来たとき、正直なんの実感もありませんでした。
あまりにも突然すぎて、そこには現実感が全くなくて。
夏休み前には、元気そのものでした。
いつもと変わらない厳しくも優しい先生でした。
そんな中での突然の訃報。
事故だったそうです。
僕ですら、心が停止してしまったくらいですからね。
ご家族の方の気持ちを想像すると、今でも胸が痛みます。
昨日まで元気だった人が、突然いなくなる。
もう会えなくなる。
それが”死”なんだなって、改めて思ったんです。
今まで、知識だけは知っていたし、僕自身が安易に”死”を選ぼうとしたこともありました。
”死”は確かに、その人の終着点かもしれません。
でも、残された人にとっては、心に残り続けることなんですよね。
楽しかった思い出、辛かった思い出、いなくなって気付いたこと。
そんな気持ちの全部が、残された人の中に残り続けるんです。
人間って、めんどくさいですよね。
身近に感じているときは、煩わしさすら感じることもあるのに、いなくなると喪失感でいっぱいになる。
いなくなって気付くんです。
それは自分勝手な解釈かもしれません。
思い出を美化したいだけかもしれません。
それらも全部含めて、面倒な生き物だなって思います。
頭の中の冷静な部分は、人が一人死んだだけって思っているのに、心は悲しみでいっぱいになるんです。
そんな経験をした、高校2年の夏でした。
ということで、本日のまとめです。
人は必ずいつか死にます。
そして、その人の死が関わった人に何かしらの影響を与えるものです。
でも、個人的には、重くとらえる必要はないと思っています。
残された人がどうとか、生きなければいけないだとか、そんな思想や使命を掲げるつもりは毛頭ありません。
生きることがどうしても辛くなって、死を選ぶ気持ちも分かるからです。
僕も、いつそうなってもおかしくなかった過去があります。
だからこそ、生きているこの時間ってとても大変で、難しくて、それだけで価値があると思ってます。
自分の人生、周りからどう言われようが、自分が正しいと思うならそれが正解。
生きていくうえで色んな人の人生の終わりを経験すると思います。
毎回心が引き裂かれる気持ちになるかもしれません。
それも全部、自分の人生の一部なんだと、そう思いたいと感じる今日この頃です。
僕が初めて経験した身近な人の”死”を通して、生きることについてお話してみました。
ご拝読いただき、ありがとうございました。
シェア・感想ツイート、すごく嬉しいです。
気が向いたら、よろしくおねがいします。
たつやのTwitter