生きる目的はあってもなくてもいい。大切なのは自分がそれを求めているかどうか。
自分は何のために生きてるのかな、そんなことを小学生の頃から考え続けて今に至るたつやです。
今回は、生きる目的って必要なの?っていう話をしようと思います。
さてみなさん、みなさんは生きる目的、ありますか?
言わなくてもいいので、1分くらい考えてみてください。
・・・
・・・
・・・
はい、素晴らしいですね!
ある人もない人も素晴らしいです。
正直、どっちでもいいかなというのが僕の本音です(笑)
ちなみに僕は、生きる目的ありません!!!
ずっと惰性で生きてます。
いや、ほんとに。
崇高な目的なんてないし、人生規模でやりたいことなんてない。
母親のために生きていると言っても過言ではないですが、別にそれが必須ではないんです。
僕の場合、『母親のため』っていう崇高そうな生きる目的に縋って生きてきただけなので。
子供の頃は、そうしないと心が保てなかったから。
今は違います。
『無』を堪能しています(笑)
別に、目的なんてなくて当たり前かなっていう開き直りです。
実際、本気でなくてもいいと思ってるから不思議ですよね。
(強がりじゃないです、たぶん)
それでも、生きる目的に憧れちゃいますよね。
だからこそ、みんな崇高そうな”生きる目的”を求めてしまうんだと思うんですよ。
なんかカッコいい生き方がしたい。
周りから見て恥ずかしくない生き様がいい。
そんな幻想が、生きる目的を求めているのかもしれませんね。
なんで自分は生きているんだろう?
この疑問への回答がないと、生きていたらダメな気がした時期もありました。
でも、そんなことはないんです。
ただそこに生きてるだけで意味がある。
・・・とまでは言いません。それは「きれいごと」だと思ってます。
でも、そこに生きているだけでいいんだって思うことには意味はあるんだと思うんです。
目的を欲している人は、目的を見つけた方が生きやすい。
でも、目的がなくてもいいんだって思える人なら、目的なんて無くてもいいじゃないですか。
目的を欲してる人に、「目的なんて無くても、そこに生きてるだけで意味はある」なんて言っても何も響かないですしね。
僕は、子供の頃は目的を欲する人でしたが、色々経て、今は目的無くダラダラ生きることもアリだと思えるようになりました。
その変化のためにも、葛藤は必要だと思うし、それはきっと自分自身が見つける答えが必要なんだと思います。
人に言われて何か変わることはない。
きっかけはあっても、結局変化は自分からしか起こせない。
特に、自分の根っこの部分、考え方の土台や、精神の土台になってる部分は、自分からじゃないと変えられないものだと思うんですよね。
あくまで持論ですが。。。
僕は、生きる目的はあってもなくても大差ないと思えるようになりましたが、今本気で悩んでる人にそれを言っても困ると思います。
だから、ここで一つ。
どんなに小さな目的でも、どんなに他人から馬鹿にされるような目的でも、とにかく縋りつくなにかを作ってみてください。
僕の場合は、母親のために生きる でした。
これが、毎週末プリンを食べるため、とかでもいいんです。
これのために生きているんだ、そう自己暗示できる何かを設定してみてください。
難しいなら、嫌なことの逆張りでもいいです。
痛い思いをしたくないから生きる、とかでもいいです。
とにかく、今を凌げる何かを作ってみてください。
それで耐えている間に、考え方が変わるかもしれないし、自分にとっての本当の『大切』を見つけられるかもしれません。
人生を重く考えず、生きてる時間が人生なんだって思うくらいにラフに考えて生きましょ!
ということで、本日のまとめです。
生きる目的はあってもなくてもいいんです。
必要な人は見つけてください。
別に、って思う人は無くてもいいです。
自分が生きやすいように、無理にハードルを作らない。
無意識に設定しているハードルを取っ払って、少しでも生きやすいようにいくことが大切です。
誰に何を言われても、結局自分の人生は自分だけのものなので、無理せず楽に生きたいものですね。
今回は、そんな僕の人生観というか、生きる目的についての話をしてみました。
ご拝読いただき、ありがとうございました。
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